「正直どうでもいい?」

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転職・近況・短歌

ブログを放置しているあいだに転職したり引っ越し準備をしたりしていた。気づいたら2020年。あけましておめでとうございます。

2018年あたりからミリオンライブを皮切りにアイマスにどっぷり浸かってしまい、2019年はミリオン6th、デレ7th、バンナムフェスと現地にいく機会も多く、おかげで資金不足のため夏コミ欠席。加えて転職アンド引っ越しのゴタゴタで冬コミも欠席。久しぶりに1年通じて同人イベントに出向かない1年となってしまいました。

とは言え転職で地元の岐阜を脱し、関東勢の仲間入り(予定) これでコミティアにも文フリにもコミケにも行き放題・・・か・・・?

漫画のほうはぼちぼち読んでいるんですが、このブログでのアウトプットは全然出来てません・・・なんとかしたい・・・死体。 とは言え、雑誌はすべて電子に切り替えてしまった。 単行本は昔から買い続けているシリーズは紙ですが、新規で買い出すのはもっぱら電子。貧乏性なので電書ストアのセール時にまとめ買いを狙う・・・とやってると新刊の捕捉が遅れてしまいがち。「いまさら書いてもなぁ」という気分で更新が遠のく悪循環を感じる。電書でいつでも読めるすぐ読めるっていう環境なのにこんな状況になってしまうとは・・・読書スタイルに合う合わないは明確にありそう。

これを書いている時点ではまだ引っ越しはできていませんが、早いとこ生活のかたちを作って満喫したい所。

 

 

 

 

そんな状態ですが、2019年には個人的にあたらしい趣味を掘り下げられた一年でもあったなと。タイトルにもあるとおり、短歌です。短歌にハマったきっかけはこの歌。

イルカがとぶイルカがおちる何も言ってないのに君が「ん?」と振り向く(初谷むい)

何度見ても眩しい一首。 おそらくイルカのショーをみている場面で、君が「ん?」とこちらを振り向いた。 たったそれだけの一秒にも満たないであろう瞬間を切り取っている。なんでもない日常の中でこの瞬間だけが異様にスローモーションになっている感覚があり、つまり運命というものに触れたような、私にとってあまりにも特別な一瞬に、ドンピシャのタイミングでシャッターが落とされたような奇跡的な静止。なにも言ってないのに君が振り向いた。そのことだけですべてが叶えられてしまった。言語化できないけどメチャクチャ心震えるのだ。「あ、通じた」っていう閃光。あえてここをこんなふうに歌として切り取ったという歌の成り立ち強烈なインパクトがある。

花は泡、そこにいたって会いたいよ (新鋭短歌シリーズ37)
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ツイッターでミュージシャンの下川リヲがこの歌集を絶賛していた。個人的に歌詞における言葉の使い方が個性的でおもしろいなと関心があったので、そういう人が歌集というものに刺激を受けている様子を見て、ちょっと物は試しという具合で初めての歌集を買ってみたのだ。

以降ハマったという程ハマっているのか分からないが、クソ労働の果ての低賃金からちょっとずつ気になってる作家さんの歌集を買ってみたり、ちょっと自作してみたりしている。 短歌というのも学校の授業でやったくらいでなんとなくしか知らなかった。「サラダ記念日」とか「みだれ髪」とか「一握の砂」などのイメージしかほとんどなかったわけだが、ハマってるのはいわゆる現代短歌というやつだ。昭和以前とか和歌とかになってくると未だに読めない。

だけど近現代の口語でめちゃくちゃ読みやすいうえにいろんなテーマを歌えたり遊びをきかせてみたり、読めば読むほどギミックの奥深さや31文字というリズムに宿る面白さやあえてルールを無視してみる破調の魅力が、ちょっとずつ分かってくる。

ハマってから一年くらい経ったので、いまの自分の考えや感覚、好きな歌や作家などメモしながらついらつらと書いていく。

 

 

 

 

だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもないし(宇都宮敦)

これ、もはや何も言ってないに等しい。メッセージ性ゼロ。結局なんなんだよ!でも面白くないですか。ゆるくて気ままでマイペースな感じ。なんか思わず発声してちょっとニヤッとしちゃうような言葉の面白さ。「急ぐ旅ではないのだし」ってなんか言ったことある気がするもんな。道が渋滞してるときとか電車が遅れたときとか。そこからこう言葉遊びをかぶせてくる。

あの子は僕がロングドライブを決めたとき 必ず見てない 誓ってもいい(しんくわ)

卓球部を舞台にした異色の短歌コメディ連作の中から一首。言うまでもなく岡村靖幸のパロディだがこの謎の自信たっぷりの情けなさが果てしなくキュートで悶絶する。歌集「しんくわ」収録の「卓球短歌カットマン」ははじめて笑いの声がでた歌集。それ以外にも既存TCGのテキストに貼り付けて遊ぶオリジナル短歌バトルカードゲームもついてくるなど色んな意味でふざけ通した本だが、そんな中でこの歌のようなセンチメンタルをくすぐる甘酸っぱい歌もたくさんあるのだ。

ストローを噛んだ部分が白くなるようにときどきにごる世界で(橋爪志保)

これは「これをあえて歌にする!?」っていう日常の再発見のおもしろさ、みたいな感じだろうか。短歌の面白さに、31文字でどこまで飛躍して彼方へ着地させるか(着地させないか)みたいなところを感じているけれど、この歌もそこが面白い。

カレンダーをめくり忘れていた僕が二秒で終わらせる五・六月(木下龍也)

これも描写するワンシーンが面白しいその中に時間の捉え方が個性的で、たしかに時間も日々も過ぎ去っていくのにカレンダーをめくり忘れていたことで停滞していた別の次元というのも露わになっている。その次元をたった二秒で終わらせる。神様みたいだよな。ほんとはただめくり忘れてただけなんだが。5月6月というのもなんかいいチョイス。GWのぼんやりとした空気を引きずった気だるさが伝わってくる。反芻していくつもの面白さを発見できる。

この歌を知ったのは穂村さんの短歌エッセイだったかな。穂村弘さんはエッセイもめちゃくちゃ面白くて本職はどっちなんだかもうわからないくらい人気作家だが、もちろん歌もめちゃくちゃ楽しくてぶっ刺さるものがたくさんある。

「フレミングの左手の法則憶えてる?」「キスする前にまず手を握れ」(穂村弘

飲み屋でとなりからこんな男女の会話が聞こえてきたらめちゃくちゃ盛り下がりそうな、クサさとくだらなさが絶妙にマゼコゼになったお気に入りの一首。目の前のロマンスに夢中で常識が通じないアホっぷりと、なんかいい感じのこと言ってる~~~~っていう呆れみたいな憧れみたいな。次も穂村さんだが

サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい(穂村弘

たぶん有名な歌。すごくセンシティブでナイーブな語りかけを、あえてサバンナの、しかも象のうんこにしてしまおうという飛躍がエグい。茶化しているようで、実際には主人公が空想上のサバンナの象のうんこくらいにしか弱音を履くことも出来ないというシビアな現実逃避、磨り減った自分の感情をドライに客観視しているような切なさも感じられる。でも象のうんこなのだ。うなずくことも寄り添うこともしてくれない。

どれも穂村弘さんの「ラインマーカーズ」っていう本に入ってる歌です。ベスト盤みたいな本でめちゃくちゃいい。口語短歌が好きでこの人の作品を通過しないルートというのはなかなかないんじゃないかってくらい大御所だ。

 

 

 

 

別ベクトルでちょっと怖い系の。

家族の誰かが「自首 減刑」で検索をしていたパソコンまだ温かい(小坂井大輔)

学生時代までは家族共有PCを使っていた。このシーンはリアルに自分の体験に重なりそうで、でもこんな恐ろしい感覚になるとは思わなかった。家族の誰かが好奇心から検索をしていたのだろうか、それとも・・・・・・。家族という安心できる距離感に潜む暗部を暴かれているような、「所詮他人」感を突きつけられているような。

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって(中澤系)

有名な歌、だろうか。少なくとも引用されているのをよく見かける。なんかキーホルダーとかにもなってる。 それにしてもこのヒヤッとさせられる感覚はなんだろうか。中澤系さんは社会のシステムであったり風刺を聞かせた理知的な歌をおおく遺している(もう亡くなられている歌人)が、その中でもこの歌は漫然とした社会の不安感や孤独感みたいなのを言語化していて、「自分だけがわかっていないのでは?」「自分だけが取り残されているのでは?」という感覚に襲われる。「理解できない人は下がって」というフレーズの、この冷たく突き放されている感じ・・・。実際のところ電車が通過するんだから下がるようアナウンスが鳴るのは当たり前なんだが、そこへの反逆が飛躍して生の否定のメッセージとも取れる。

歌集「uta0001.txt」は一読してひどく冷笑的な印象がまずある。現代への絶望や皮肉が込められた歌たち。有名なのは歌集の、ラストにも置かれている、この歌だ。

ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ(中澤系)

こっわいしなんだこの歌。ブツ切りになることで、突然PCが落ちたような呆然とする感覚に陥る。椎名林檎のアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」の「葬列」を思い出した。

個人的に短歌ってこれアリなんだと衝撃を受けたうちの一首だ。切なさとそれを塗りつぶすかのごとく狂気が顔をのぞかせて歌集は終わる。ラストを飾るにふさわしい象徴的な歌。

でもそんな中で、陽炎のようにゆらめく、ほんとうに実在するかも危ういこの世界のやさしさや安らぎのような側面も歌っている。歌集「uta0001.txt」はメチャクチャ好きな1冊で、うまく飲み込むことができたときはこれで1記事書いてみたいくらいお気に入り。付箋がいっぱい本からはみ出てとげとげになっているのだ。

長き夏の翳りゆきうす赤く染まる世界のなかに二人は(中澤系)

ただただ美しい光景にいる二人。歌集の流れで読むと、このワンシーンがひどく眩しくて、けれどもう失われてしまったかつての日々のような感傷が自然と読み手の心に立ち上ってくる。光景は美しいはずなのに「翳り」「赤く染まる」などワードとして不穏を感じる。こういった歌は単体で読むより、無機質なこの本のなかに佇んでいることで一層世界が広がる。世界は美しいはずなのに、自分をとりまく世界の冷たさやがらんどうな精神世界に、取り残されていく。

歌集で読んでこその面白さを体験すると、名歌と呼ばれる一首をたくさん鑑賞するとは別の面白さがあるんだと痛感させられる。

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あと短歌といえば恋のうた、というのは与謝野晶子とか俵万智的なイメージが強いせいだとおもうけど、このテーマも好きな歌がいっぱいある。

とどまっていたかっただけ風の日の君の視界に身じろぎもせず(大森静佳)

水をあゆむように夜の道をゆき過去をふたりでつなげてあそぶ(東直子

おくさんが どこでもドアを持ってたら あたしたちもう会えなくなるね(栗原あずさ)

どれもこれも魅力的だし、たった31文字なのにそれぞれどんな主人公なのか、浮かび上がってくる女性像がまるで違う。

加えてこの曲なんかは、恋の歌から飛躍して有る種の永遠性のような部分にまで言及している、気がする。

冒頭で紹介したイルカの歌が、一瞬がキラッとしたわずか一瞬を捉えた歌だとすると、この歌なんかはたった31文字で途方も無い宇宙のような永遠のような、自分の存在がちっぽけに感じるような不思議な遠近感を持っている。

切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために(笹井宏之)

誰にもコントロールできない「運命」というルールがこの世界にあるのなら、ぼくらにできることはそのために備えることくらいだ。せめてさようならのために。けれど結んでおきたい。それくらいは赦されていいのでしょうか。この歌は神からの言葉のようにも、それに翻弄されるかよわい生き物たる我々の言葉のようにも取れる。

笹井宏之さんの作品は、身近な言葉やいいまわしなのにどこか天からのお告げのような、はるか天空に流れる風のような眩さを覚えてしまう。めちゃくちゃいい歌人です。

 

 

 

ざっと書いてみましたが。こう、歌の良さというか、自分が感じ取った詩性について言語化するってのはめちゃくちゃ難しい。でも書いてみたくなるんだよなぁ。

短歌には現代短歌評論賞っていう、作品を批評・評論したテキストに対する賞もあったりして、そういう角度からのクリエイティブも成立しているってのも個人的には面白い。

 

とは言え、こういうじっくり味わう歌の世界ってのは、精神的にゆとりがないと飲み込み方も下手くそになる気がしている。新しい会社で研修中アンド引っ越し準備中のいまの自分ではちょっと余裕がないので、せめてここらへんももっと楽しめる生活にしていきたいですね。

という事で。

 

(久しぶりの更新でとりとめなさすぎでは?)