「正直どうでもいい?」

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ぼくたちはこわれてしまった『中澤系歌集 uta0001.txt』

以前、かなり散文的に好きな短歌を書き並べた更新をしたが →https://inmsazanami.wordpress.com/2020/01/20/tensyoku_tanka/

そこでも書いた中澤系さんの歌集についてもう少し深堀りしてみる。

短歌はここ最近ハマったところ。まだまだ多くの歌集を読めているとはいい難いけれども、この歌集は特に印象深い。

  中澤系歌集 uta0001.txt

 

「生きづらいこの世の中」を31字に表現した、天下一品の歌人の唯一の歌集。

どこで知ったのかというと記憶はあいまいだが、たしか「ねむらない樹」だったかな・・・と思い読み返した。

そうだ。vol.1の「新世代がいま届けたい現代短歌100」に取り上げられている。毎号たのしみにしてます書肆侃侃房さん・・・・。

加えて穂村弘さんの短歌入門書をいくつか読んだ中にも、中澤系さんの歌を多く目にすることになった。特にこの歌については様々な本で繰り返し言及している。

 

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

 

一読してヒヤりとさせられるような感覚はないだろうか。 個人的にも、1度読んだら忘れられないくらいのインパクトと覚えやすさだと思う。

「理解できない人は下がって」というフレーズの冷たい響き。そして耳慣れた駅のアナウンスなのに、どこか悪夢のようにねじれた世界観。

電車が通過する際、アナウンスはもちろん「黄色い線の内側にお下がりください」だ。 だがこの歌においてはなにかを「理解できない人」は下がるよう、その声は投げかけられる。 生命の危機を回避するためではない。 理解できない人。ルールを知らない人。なにも考えずに駅のホームに立つ人。 そういった人間を遮断するかのように。 そうすることで安全な社会を得ている。安全を仕組まれたシステムによって。

じゃあ「理解できる人」は? 下がらずに、前に進み続けるのかもしれない。時代とともに。 そしていつか轢き殺されていくのかもしれない。

 

自分にとっての常識や価値観、当たり前のルールから明らかに逸脱していることの不安感。けれどどこかで諦観の果てのやわらぎのような感触もあるような気がする。 なんだろう。行き場のない人に「あなたはあっちですよ」と、案内をしてくれているような。それはもしかすると死の世界へのいざないかもしれないのだが。

この一首だけでいくらでも時間を費やせそうだ。それくらい入り組んだ感情を、このみじかい詩は閉じ込めている。 この歌って主人公もいなけりゃ「君」もいない。殺風景なラフスケッチのようにかわいた感触。だれの、どんな感情も読み取れない。

 

我々があたりまえに生きているこの世界に、ひとしれずポッカリと大穴があいていて 下ばかり向いている人だけがそれを見つけ、覗き込んで、ずっと目が離せないままでいる。 なんだかそういう、残酷な世界のバグのような光景に惹きつけられてしまうのだ。

 

中澤系さんはこういった感触の歌をたくさん遺している。 遺していると書いたのは、調べればすぐわかることだが、中澤系さんはすでに他界している

コミュニケーションがとれない難病におかされ寝たきりになり、2009年に息を引き取ったという。

本作に収録されている代表的な連作「Uta0001. txt」は1998年に賞を取っているのだが その作品も含め、ディストピア的な世界観で非常に現代的なテーマを取り上げている。 windows98が発売されたその年の前後は、インターネットは少しずつ一般に普及を始めていたころだ。そんな時代にも関わらず、いやだからこそか、この作品は非常に現代的でありながら世紀末的な厭世観があふれんばかりに詰め込まれている。

新しい時代や技術の到来は、人間本来の孤独をより濃く深めていく作用もあるのかもしれない。 そういった時代の背景も踏まえるとよりこの作品のすごみを感じられるように思う。

 

 

ぼくたちはゆるされていた そのあとだ それに気づかずいたのも悪い

「そのあと」・・・・・・なにが起きたのかは何も示されていない。

許されていたとされるものがなんだったのか、当てはめるワードを変えればまるで景色が変わってくるところも面白く、懐の深い歌だな。例えば「恋」でもいい。「知識」でも、「命」でもいいと思う。

とは根底にあるのは「許し」の肯定感は、すでに失われているということ。許されていたことは、すでに手遅れになってから知るのだ。

この感覚。どうしようもなくなってしまった喪失感。 このポエジーが本当にひたすらに続くものだから、精神状態がよろしくないと本当にメンタルを持っていかれてしまう。

 

小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない

これも社会のシステム性を感じさせる歌だ。受動的な生命。

中澤系の歌の歌はこういった不思議な表明や問いかけなど、だれかにむけた言葉で表現されている場合も特徴的だと思う。そういう評を見かけてなるほどと思った。 →現代歌人ファイルその7・中澤系 http://bokutachi.hatenadiary.jp/entry/20081022/1224676758

宛先のないメッセージのようで、それはまるで社会構造や神といった超越的な存在に向けられているようにも感じられる。(もしかしら専門に哲学を学んでいたという経歴も影響しているのだろうか) だからこれは孤独な人間が窮屈な社会のなかでせめて発したかった極限の言葉たちなのだろう。

しかしけしてこの歌集は一人の苦しみからくる歌ばかりではない。

 

長き夏の翳りゆきうす赤く染まる世界のなかに二人は

いた。「二人」いたぞ!でもなんか不穏なんだよ・・・

モノクロの世界ではなく、めずらしく色彩感覚の豊かな歌だと思う。夏。翳り。赤。 本で読んでいるとふとこういった温度感のある歌にまれに当たる。ほんの少し心を安らげることができる瞬間・・・ それでもこんな歌にも喪失感を強く香っている。だからこそ閃光を見たあとのように網膜に影がのこり続ける。焼き付いて忘れられない思い出のように。

 

はなれゆく心地したりき快楽のためにかたちを変えたる時に

状況としてはあきらかなんだが、こんな性愛の歌も「快楽のため」などどこか冷めた諦観のようなものがまとわりつく。 どれだけ深く愛し合っていたとしても、他者の存在がもたらす違和感があり続けることが「はなれゆく心地」と表現されているのではないかと思う。

ちがう精神と肉体を持った別の個体である。 快楽のためとわかっていながら、それでも寂しさが募る生物の機能。生殖のためにもたらされたシステムに踊らされるばかり。

 

ハンカチを落とされたあとふりかえるまでをどれだけ耐えられたかだ

ここまで連続して他者の存在が歌われている作品を挙げてきたが、この作品はとくにドキッとさせられる。 子供のころ遊んだハンカチ落しを思い出す。言うなればこの歌はそのルールを歌にしているだけなのだが、視点と言い回しでこうも意味深くなるかと衝撃的だ。

ハンカチおとしは言うなれば、標的をみつけその者を騙す遊びだ。 この歌はその標的となった側からの言葉だが、不思議なことに「振り返るまでを耐える」という心の動きがある。なぜか。

信じたいのではないだろうか。 まさか自分ではないだろう、そんなはずがないじゃないかと。 けれどこの歌はすでに自分が標的となっているところから始まり、自分がいつそれに気付けるのかいう、いうなれば騙されている一瞬の祈りが込められているのだ。 なんて残酷で。しかも面白い視点から放たれた歌だろう。

 

この歌集はけして孤独なのではなく、常に切ないほど他者を希求する心が描かれている。そしてその先の安堵も、絶望も、感傷も、祈望も。

 

ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ

そしてこれも代表作だろう。 この歌集を最後の最後を飾っているのもこの歌だ。

エラーを吐いたPCをシャットダウンするかのように言葉は遮断される。

この肉体がマシンだとしたら、いつかこんな風なエラーメッセージが流れ出すのかもしれない。なんてことない日常、安らかなシステムのなかで生命を循環させ続ける僕ら。こわれてしまったぼくたち。

終われるのだろうか。この歌のように。 こわれても、こわれつづけてもなお、生き続けなくてはならないのかもしれないんだ、ほんとうは。 なにも生み出せないガラクタとしてだれかに使われそして棄てられ、 新しいものと古いものが循環していくこの社会というシステム。 人類が社会のシステムに支配された機械のひとつのような感覚。

「ぼくたちはこわ」で途切れたことで無限の奥行を生み出している、すさまじい技だと思う。 歌集としても、この歌のこの言葉の途中で意識が落ちるという構成の美しさもある。 歌集をラストを飾るにはあまりにも完璧な一首で、この歌を100%味わうにはなんにせよこの本を読んでみるほかないと思う。

 

ネットでこの歌集をもとにした音源も発表されていたりする。

https://twitter.com/UNCIVILIZED_GM/status/1253350257997602822

いや、怖すぎんか・・・?

 

ネットを見ても、この歌集に関する話題はかなり多い方じゃないかと思う。

この本は氏の唯一の歌集だが、本当に多くの人を引き付けているのだ。

 

前回の更新よりかはもうすこしこの大好きな本について深堀してみたけど、まだ足りないな、全部を言語化できなくても、もっとすごいんだこの本は。自分では読み取れないほどの深淵があって、大切な感情があって、どうしようもなく孤独なんだ。ぜんぜん底に手が触れてない感覚がある。もっと読みたい。もっと読みたかったんだよな、中澤系さんの作品が。

 

 

 

なおもなおもその病巣は小康を保ち続けるらしと未明に