原神しかやってない人生になってきた。クレーちゃんの重撃で爆ダメ叩き出すと最高に気持ちェェんじゃ。
とは言えさすがになにかアウトプットしたくなったので更新。イラスト集のような歌集のような絵本のようなこちらの一冊「青春迷宮」。
青春迷宮、好きな歌人×好きなイラストレーターのコラボーレーションすぎて実は記憶がないだけで俺が神龍とかに願ったんじゃないかという感覚になるな pic.twitter.com/8vXVHlTvM0
— 漣 (@sazanami233) 2020年10月7日
テンションあがりすぎて変なことをほざいたときのツイッター。
マジですべての中学校の図書室においてほしいくらいに純度が高い本だと想う。
歌集というのは、短歌を納めた本です。31文字の詩です。
イラストは丸紅茜さんはコミティア系の同人だったり一般書のカバーなどで見かけることも多い。めちゃめちゃ好きな絵師さんです。「おくたまのまじょ」、待ってます。
そして短歌は伊波真人さん。歌集「ナイトフライト」の人。ムック本「ねむらない樹」でよくお見掛けする名前だ。
本作はこの二人のクリエイターがそれぞれ50の歌とイラストを描きおろし、それぞれに共鳴しているさまを楽しめる一冊。
通常、歌集を読むと31文字の文字の連なり以上の情報は基本的にはありません。その中で描かれる情景や感情に思いをはせたり、比喩の跳躍、口にしたときのなめらかさやドキリとするテンポ感またはその破調、摩訶不思議な言葉の接続や一瞬を切り取る刹那の結晶それらをしげしげと眺めては「ふ~む、ようわからんけどピカピカひかっとる、ええやんけ」と脳内お気に入りボックスにしまっていくような作業が待っているわけです(オタク早口) 。
しかし本作はひとつの物語を描くように進行していく。そのことでグッと読み解きやすく、普遍的な青春のピースとしての像が歌からイメージしやすい。短歌の入門としてもかなりとっつきやすいと思う。
キャラクター性もハッキリとしている。断片的に小説の一節を読んでいるような歌たちはどれもほどよく抽象性で、ほどよく限定的で、そのゆらぎのなかに「私だけの日々」の愛おしさややるせなさがパッケージされている。
キーワードとして「星」「学校生活」といった要素を全体の裏テーマとしておおく詠み込まれており、全50首の作品としてテーマが確立されているようにおもう。
加えてやはりイラストの存在が非常に大きい。やっぱ、丸紅先生のイラストは味わいっ深い。思春期の、あの日々の、君との距離も世界との境界もあいまいで鋭敏で、沈み込んではときおり水の底から光る言葉たち。絵とイラストがすばらしく共鳴している。
歌も、男女どちらの歌かわかることで(またはどちらにも共通するような歌であることで)より、感情が交差している感覚を味わえるつくり。
交差しているにも関わらず、伝えられない言葉をおたがいに秘めているからこそ、悶々とするし美しいのだが……。
いくつか、好きな歌を抜粋する。
校庭にくじらのように横たわる校舎の影が午後を飲み込む
そこを歌にするか、という感触のすぐ読んだあと思い出した。そうだ、夏の午後になると太陽が校舎の裏にまわり、日が沈むにつれてどんどんと校庭の影がおおきくなっていったこと。穴が次第に大きくなっていくような、飲み込まれてしまうような青黒い影を、授業中に眺めていたのを、10年以上前のあの視覚情報が一気に脳みそに蘇った。
校舎の影が校庭に広がっている。ただそれだけの歌なのに、触れがたいなにかに触れてしまったような、記憶の扉をふいにあけてしまったようなドキドキがある。高揚感ではなくて畏れのような感覚の。
この歌にはっきりとした感情は載せられていないけれど、読みての記憶や体験にオーバーラップすることで普遍的な、しかしそれを発見したありふれた僕らにとっては特別な発見だったを思い出させてくれる。気づいたときには発見したような心地だったんだ、校庭を飲み込んでいく大きな影は。そこにいろんな想像をあの影に投じていたような気がする。影送りとか、影の深い大地に溶けるように紛れる忍者とか、ムカつくやつの顔だとか。
同じような視線として
数学の記号が魚に見えてきて教室という海へと放つ
本気で授業の内容が頭にはいってこなかったとき、黒板に書かれた記号をなんの理解も出来ないままノートに書き写していた。そういう時こんな感覚になっていたように思う。まるで生き物みたいに、次から次へと姿を変えていく記号たち。不思議に生き生きとしだす薄水色の方眼ノートの黒線たち。
完全に勘違い。記号は記号だし姿はかわらない。寝ぼけながら板書をとっているからそんなことになる。でも想像を膨らませて、記号を魚に変えて、教室に海にして、そこに放つ。押さえつけられた感情がしれずしれずに出口を探すような、そういう願いも込められていたのかもしれない。
職業の適性検査の結果では灯台守がぼくの天職
どんな嵐の日にもそこにあり続ける。だれかを待ち、誰かを送り出していく。変わりたくないどこにも行きたくない、そんな心の声が指し示してしまった「灯台守」という結果。そんなわけはない。いつの時代の職業検査だろう。
調べたが日本では2006年を最後に、有人の灯台は消滅したようだ。(むしろそんな最近まで「灯台守」っていたんだ
でもこの感覚、当時の自分もあったと思う。
漠然とした未来への不安、いまのままずっと在りたい。置いてけぼりを食らってもいいと思うほどに変わりたくなかった。
願わくば誰かそばにいてくれたり、だれかの帰りを待ったりしていたんだけど、そんなことはもちろん言葉には出来なかった。消極的すぎる。でも本当のことだったと思うのだ。
冬空をともに仰いだあなたにはみえない星を胸にともして
奇跡のような時間があったとして、けれどすべてをさらけ出す勇気はなかったのだと思う。この歌はこの歌集のストーリーを読み解く中でも重要なピースだけれど、この一首だけ取り出してもきらきらしているように思う。
「ともに仰いだあなたにも」ではないのもポイント。大切な夜があった。それをともにするあなたの存在があった。でも、だからこそなんだろう。一時、記憶を共有できるだけの距離感だからこそ、改めてはかられていく言葉や感情。
ともに仰いだあなた「には」見えない星、それはあなたが特別だからこそ隠した思いの強さを感じさせる構造だ。
うつむいて僕はみているもう履かない上履きの甲には落ちた三日月
クライマックスの一首。うつむいて、あなたの顔を見れなくて、上履きのつまさきのラバーのかたちがまるで三日月みたいで、そうして春は忘れられない季節になっていく。
などなど。
この歌集は、完全に忘れ去っていた学校生活のさりげないワンシーンや、授業中にぼんやりと感じた色のない感情をみずみずしく思い出させてくれる。
学生じゃなくてしばらく経ったからこそ懐かしく思う部分もあるけれど、
できればリアルタイムで学生の人にも「同じようなこと考えて、それを短歌にしている人がいるんだ」という感覚を味わってもらえたら、きっと楽しいんじゃないかと思う。
そして本としてのデザイン、レイアウトやタイポグラフ的な面も技がきいている。ようは短歌がただ書かれているのですなくオッシャレに遊び心が加えられ、本をめくるたびに新鮮な誌面を味わえるということ。
歌の内容とイラストはもちろん、このデザインによっても感情は増幅されていく。
例えばグルグルと感情がめぐる悶々とした歌では、言葉はまるで出口をなくしたように、あるいは塞ぐように「私」を取り囲む。
さみしく言葉が反響するような場面では、その通りにいくつもの言葉が連なる。繰り返すことで本来の意味が失われていくようなデザインがさらに切なさを加速させていく。
限りある時間を惜しむ歌では、その歌そのものが砂時計となってこぼれ落ちていく。
プロローグとして春から始まり、季節を移りそしてまた春に至る物語。
「青春迷宮」と名付けられたこの本は、行ったり来たりの感情と関係に終始甘酸っぱい気持ちを味わわせてくれる。そして永遠にこの時間が繰り返されているかのような、停止した青春を追体験させられているような感覚になる。
まるでこの世界は、名前のないぼくときみの世界を、キャストとシアターを入れ替えながら何度でも上演していく舞台演劇のようだ、と。
こんな感覚に取りつかれたらまさに迷宮。もしかしたら自分もこの舞台の一員だったのでは……?
いや、そんなことはない。考え直しそう思い出そう。おれにこんなキラキラした時間なんてなかった。教室の片隅で電撃文庫とMF文庫Jを読んでるだけの眼鏡だった。
でもそれでもよいのだ。なんのドラマもありはしないが群青の日々は10代の僕にもあり、あの教室で誰かがこんな「青春迷宮」に迷い込んでいたのかもしれない。その気配や匂いは、感じることができていた。
なんだか久しぶりあの教室の、しけった6月のホコリ臭さを思い出してしまったな。
そしてこれを読んで「なんかよくわからんけど良いな、自分にも短歌作れそう」ってなったらこの作品は勝ったと思う。自分もこの本を読んで1首作ってみた。
とこしえのメタファーとして十代の群青は春から東から