「正直どうでもいい?」

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読み解きエッセイ、あるいは解釈バトルへの手引『ぼくの短歌ノート』

 

  ぼくの短歌ノート (講談社文庫)

短歌ってなにがおもしろいんだ?

と改めて考えてもよくわからない。昔から広告のコピーなどを覚えたりどんな狙いがあるのかと裏を考えてみたりするのは好きだったので、その延長のようにも思う。

あるいは定形のなかでの様々な表現の模索だ。

5・7・5・7・7、合計31文字。そのルールはあるものの、狙いによってはあえてそこから外れてみたり、区切りよくすることもできるけどあえて句をまたいでテンポ感を変えたり。 愛唱性、いかになめらかに心地いい日本語であるか。あるいは違和感のスパイスによって魅力的になるか。

加えて「私」を強く出すことが求められる土壌も、個人的には読み応えのある文学だと思う。

とまぁ面白く感じるポイントをなんとなくは認識はしているものの、じゃあ一首を前にして「この歌をどう読む?どこが魅力?なにを面白いを感じる?」と問われても99%たじろぐばかりなんだよなぁ・・・

 

 

そんな迷える短歌ビギナーあるあるとして、やはり短歌界のほむほむことレジェンド穂村氏の解説本を大量に摂取したくなる。

氏は歌人だが、出版しているのは歌集ばかりではない。 いまはエッセイ本と、今回取り上げる短歌評論系の本をおおく手掛けられている印象。 ベスト盤的歌集「ラインマーカーズ」を読んで感じた、その軽妙な語り口から繰り出されるロマンテイックで複雑怪奇な世界観。 けれど短歌の初心者に向けた指南書であるとか、あるいは批評、もしくはエッセイのなかにもそういった穂村エッセンスは強くきらめいている。「勉強になる」というよりマジのマジで楽しく読めちゃう魔力があるんだよな。

 

穂村さんの短歌指南書・評論は複数読んだけれど、個人的に一番ハマったのがこの「ぼくの短歌ノート」だ。 (「短歌の友人」は専門的な部分も多くで、やや難しかった。。

 

ノートというだけあって、穂村さんが好きな歌を紹介していくのだが、 「この歌のここがすごいなぁ」から入り、 「どういう意図と技術がこの歌を特別にしているのだろう」という分析の流れが徹底されている。 穂村さんの思考をたどってたくさんの短歌を味わっていくうちに、歌の良さを共有できてしまう。そして短歌そのものへの興味がどんどん上がっていくのだ。 評論というと硬いが、自然な話運びでエッセイ本のようにサクサク読める。

 

いわゆる名歌と呼ばれるような歌を目の前にしても、 「魅力がどこなのかわからん」 「技術的にどうすごいのかサッパリわからん」というケースもかなり多い。自分がまさにそうなのだが。

例えば与謝野晶子の『みだれ髪』に納められている有名な歌 「やははだの 熱き血潮にふれもみで さびしからずや 道を説く君」 これひとつにしたって、味わうにはいろんなバックボーンを理解する必要もあったりする。

あの時代の女性がそもそもどういった状況で、 歌人としての女性がどのような作品を残していて、 与謝野晶子がどのような人生を歩み、どんな状況かでこの歌を生み出したか―――

そのまえに、学生時代の不勉強があだとなり 「そもそも"さびしからずや 道を説く君"がなに言ってんのかわからん😢」

という初歩の初歩の問題にブチあたることも数多い。それは俺が悪い。 現代短歌ではなく旧仮名でうたわれている歌や、和歌の領域になってきたらもうお手上げ。そもそも音読できねぇんだよ俺はよ。どんな言葉遊びが隠されているのか、比喩を重ねてるのか、もう古文の授業みたいな解読はまずひとりでは楽しめない。

そういう、もう、元の子もない状態からでもこの本を読んでると短歌が楽しめる脳みそにされてしまう。それだけ懇切丁寧なリードをされている。

さらに言えば歴史に残る名歌や有名歌人の代表歌だけではなく、ひっそりとたたずんでいる歌、 いわばプロによる作品でもない路傍の一首を拾い上げ、その歌の隠れた魅力を暴き出していく。いや、もしかしたら作者の意図以上に拡張してあじわっている部分もあるかもしれない。

歴史的背景も作者のパーソナリティもまっっったく知らないで触れた一首に心射抜かれることだってあるわけで。

むしろそういうプリミティブな感動にも、この本は強いリスペクトを持って体当たりしてくれている。 そもそも短歌は新聞歌壇もあったりアマチュアのすそ野がすさまじく広い文学なんだよな。

紹介されているものをいくつか引用する。

したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ(岡崎裕美子)

容疑者も洗濯をしていたらしいベランダには靴下揺れる(下岡昌美)

美しい断崖として仰ぎゐつ灯をちりばめしビルの側面(大西民子)

最後だし「う」まできちんと発音するね ありがとう さようなら(ゆず)

永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている(東直子

潮騒』のページナンバーいずれかが我が死の年あらわしており(大滝和子)

いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る(錦見映理子)

一目で「うお!この歌好き!」となるファーストインプレッションから 「この技法、リズム感、メッセージ性、強え!」という感想にステップアップできるのは本当にありがたいし、めちゃめちゃ楽しいです。 その歌のどこに自分が惹かれたのかをきちんと言語化される快感がつねに続く。あたらしい発見の連続。「やははだの 熱き血潮にふれもみで さびしからずや 道を説く君」だって、小難しいのはさておきこの歌めっちゃいい事言ってない?カッコよくない?

この本を読んで初めて知った短歌というのも本当にたくさんある。 単純に素敵な歌との出会いをもたらしてくれる意味でもかなり身になる。

 

 

 

余談だけど、初心者から見ても穂村さんがたまに飛躍した解釈をするときもあって 「短歌はどんな自由な発想で読んでもいいんだ!」という気持ちにさせてくれる。 そしてそういうのも面白さだとつくづく思わされる。

別にこの本はその歌の正解を教えてくれているわけではない。 ただ、穂村さんというプロの歌人の読み方や味わい方を知れる。あくまでも例にすぎない。別に「俺はこう思ったんだけどなぁ」なら別にそれでもいいんだな。

これは漫画や小説、音楽でもどんな物語でも思っていることなんですが 作者が込めたメッセージを正しく受け取ることだけが正解なのではなく、 偶然その作品が宿してしまった運命のような魅力だって、間違いなくあるる。

例えばいま世界を大混乱させている新型コロナウィルスを経て世界は変容し、 2020年以前とは2020年以降では、まったく違った味わい方ができるようになった作品もある。 「天気の子」のタイミングは、まさに運命としか思えないほど神がかってましたね。

個人の体験の有無によって解釈が違うことだってあるかもしれない。 短歌はたった31文字しかないのに、そこで解釈バトルでバチバチやれるなんて楽しすぎるよな。

アイドル解釈違いでnote書くやつ。短歌を読め。

 

 

穂村さんの本、たくさん買って少しずつ読み進めているのでいったんここで読み終えた本をまとめておく。

評論系「はじめての短歌」「しびれる短歌」「短歌の友人」、

エッセイ「もうおうちへかえりましょう」「鳥肌が」「もしもし、運命の人ですか。」「現実入門 ほんとにみんなこんなことを?」「ぼくの宝物絵本」

このほかにあと文庫本5冊くらい積んでるので、はやく読まないとな・・・