「正直どうでもいい?」

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「すずめの戸締り」感想メモ

11月12日、公開二日目に「すずめの戸締り」を見てきた。そしてこの記事を書き上げたのが11月30日。時間かかりすぎである。ネット上でたくさんの感想、評論が出てきてそれらを好んで摂取して行き、たぶん一か月もしたら最初に持った自分オリジナルな感情を忘れてしまいそうだから今のうちに残しておこうと思う。

ネタバレ含みますのでご注意を。

 

suzume-tojimari-movie.jp

 

①アフター3.11として

この映画の強烈な個性として「3.11」を真正面から扱ったこと、哀悼とともにそれを描き、かつエンターテインメントとして纏めあげていることだと思う。

公開中に「ああ、悼むための映画だなぁ」と後半感じていたところ、パンフとか読んだらまんま「悼み」というのがキーワードとして用いられていた。ほ、ホントなんだよ、俺も自力でそのワードにたどり着いたんだ!って気持ち。

 

2011年は「星を追う子ども」が公開された年だった。後述するが、この作品と「すずめの戸締り」の関連は強いと個人的に思う。

君の名は。」「天気の子」は言わずもがな、「言の葉の庭」にはディザスター映画的な要素はないけれど、そもそも企画の根本として、今ある日常風景がいつ損なわれてもおかしくない感覚に囚われた新海監督が、当時の風景をアニメーションで緻密に残そうという意図があり企画されたものでもあったという。

こうしてみると2011年以降の新海誠監督の映画において、東日本大震災はおおきな転換点をもたらしている。それはもう新海作品に限らず、日本のエンタメの裏テーマとしていろんな作品に落とし込まれた要素だと思うけれど。

 

「すずめの戸締り」は真正面から3.11を描いた。事前にテレビ放送もされた映画冒頭のすずめの夢の世界の描写で、建物に船が乗っかった奇妙なカットが映されていた。なんであの時にピンとこなかったんだろう。津波被害を示すあれだけアイコニックな光景だったのに。あれを、当時二ュースやネット記事でさんざん見たのに。あの船を冒頭で描いたのは3.11を描くという決意表明だったのだ。背負うものを冒頭で見せていたのに、そうと気づかずのこのこと無防備に映画館に行って、後半であの船の意味に気づいた。なんで忘れてたんだろうな…まじで…

いくつかのテーマの柱はあるが、一番強固にこの作品を支えている本質は、3.11を乗り越えようとするこれからの時代の若者の姿なのだなと思う。

 

②自分探しのロードムービー

いまいる場所はどこなのか。自分はなにものなのか。

九州から東北までを駆け抜けていくロードムービーな側面からも、そのクエスチョンがつねに主人公にそして我々に投げかけられているような感触がある。王道の「自分探し」「自分との対話」といったところもかなり直接的に終盤描かれていく。

すずめが震災孤児だという事が明かされたことで、それまでやや唐突に感じていた主人公の行動原理でがスッと飲み込めたのはうまい仕掛けだったなと思う。

すずめの無鉄砲な行動も、「死んだってかまわない」と即答する場面も、「私が要石になる」発言も、生者には立ち入れない常世に突っ走っていくのも、そもそも彼女のなかの「生きる価値」がすこぶる低いことを表してる。肝が座ってるというより、自分を大切に扱えていない感じ。

そして物語の最終盤、まさにクライマックスが秀逸だった。まさにいま悲劇のさなかにある自分を、どう救ってあげられるか、どんな言葉をかけてあげられるか、そこに慎重に言葉を紡いでいくしぐさに、言葉を尽くそうとしてくれている姿勢に、たいせつなやさしさをもらえたような圧倒的な肯定を感じられたのがとてもよかった。自分の生きる意味を探すための物語だったのだと思う。(テイルズオブジアビスか?)

新海映画といえばモノローグだが本作ではそれもかなり控えめだ。パッと思いだせるのって眠っている宗太が自分の体が凍り付いていく悪夢を見る場面くらいか?

その代わり物語の核として自らとの対話というのがこのピークとして設計されており、それはダイアローグでもありモノローグでもあるなと感じる。

 

それにしても子供時代のすずめの演技も素晴らしかった。それまで涙をこらえられていたのに、このときの演技があまりに健気で頑固でひたひたと涙があふれてきた。心配と不安で押しつぶされそうなのに母親を気丈に想っている、強がりとプライドを感じる演技だったな。

 

ただ、ロードムービーの大きな魅力であるいろんな風景を駆け抜けていく冒険感について。とくに前半は行く先々で廃墟へ赴き戸締りをしていくのがルーティン化していて、遊園地のあたりで「またか」なところはあった。そのぶん、後半で芹澤カーが懐メロかけながら北上していくのが気持ちよかったけど。

エンディングでは帰りがけ?に各地を再び訪れていく光景があったのもうれしい。この作品、ちゃんと再会できるんだよ…!!!!

 

 

③ガール・ミーツ・ボーイとしていい意味で軽い

この作品はさんざん新海誠作品のアイキャッチとして多用されてきた「ボーイミーツガール的なもの」におけるすれ違いロマン或いは呪いを脱却していたな、と感じる。いちおう恋愛感情的な描写はあるが、性的なニュアンスに乏しいし、爽やかでささやかだ。

特にラストシーンでとくにタメもなく再開シーンが描かれた事で確信した。以前の新海誠作品だったら遠くから君を思おう、いつかの再開の約束をしよう、ってんで終わるのはせいぜいだったかと思うが。

勿論、恋愛感情が原動力となったストーリーでもあったかと思うが、宗太が当初は女性キャタクターだったという監督のコメントもある通り、必ずしもそれだけで無い。前述した「自分探し」への旅に誘われていくことが大きな魅力だと思う。

 

とは思うが、新海誠監督が男女のすれ違いに執着しなくなっていることや、各種インタビューでそれらから興味が薄れていることに言及しており「おいていくな、俺を…」という悲しみに襲われてしまう。そういう男のセンチメンタル、というか童貞臭みたいなのが作家性と思っていただけど、そればかりを提供されたらいま新海監督が目指そうとする国民作家から遠ざかると言えばそうなのかもしれない。そのうえで、「新海、国民作家なんて目指すな、俺たちの慰めの物語を作り続けてくれ」という悲しみに襲われるループ。

 

Twitterで草鈴/鈴草検索するとカップリング的に女性ファンがついているようだし、ある意味では臭みが抜けてよかったのかもしれない。芹澤という魔性の男も生まれてしまったし、キャラクター映画としての強度はやはり強いなと思う。

 

 

④「星を追う子ども」のリバイバルとして

悼み、というキーワードから連想される過去作としてはやはり「星を追う子ども」だろう。監督の作品のなかでも唯一、商業的に成功したとは言い難い作品ではあるが、そもそも2011年に公開された作品である点からして、因果だ。

この作品が公開されたときの空気感も覚えている。名古屋でも1館でしか上映がなくてでかけたが、やはりまだ震災の空気を引きづっていた。「死者の復活を願う旅」とか「さよならを言うための旅」とか、そういう作品のテーマを覆い隠すくらいの衝撃的な悲しみのさなかだったようにも思う。

故人をよみがえらせようとする森崎の人間臭さ、執着、狂気といったのは素晴らしい描写だし、離別に実感を得られないまま旅にでた主人公が道中で「さよなら」の意味をようやく理解できるという筋書きは非常に好きで、見逃せない一本だと思う。滅びた古代都市とか、水中に沈んだ石造りの町とか、そういうモチーフも大好きな作品。

「すずめの戸締り」と「星を追う子ども」はたしかに共通点が多いし、リバイバルという意識が働いているのは納得がいくところ。「星を追う子ども」という作品に宿されたメッセージと、その公開直前に日本を襲った悲劇と、その後の10年間の新海作品の総決算というムードがある。とはいえ、個人的に新海誠監督作品のこのタイプの気負い方を求めていたわけではないので、合わせて「星を追う子ども」も見てね、という感じだ。決してプロトタイプではないんだ、あの映画は。

 

 

⑤震災を扱う手つき

全体的にこの作品の気合の入りっぷりはすごくて、天気の子のときのような「口にできないようなワガママを世界に突き通す」ような感触というより、「今、俺が、これを描かなくては」というような監督の気負いがバシバシ伝わってくるフィルムでもある。背負うな、国民作家を!・・・いや、背負うんだな、新海・・・。

まぁしかし、この作品で危ういなと思う明確な点がひとつあって、これは正直自分でもどう扱えばいいのか正解も見えないんだが、3.11という歴史的悲劇を作中では「閉じ師が防げなかった災害」としてわりとはっきりと言及してしまったこと。

地震を起こす「ミミズ」は結局とのところ超常現象であることは変わらず、地震が起きる予兆を視覚化したものとして問題ないと思うけど、作中の人間の失敗が、現実の大災害に結びついているのがかなり危うい気がする。

 

もしかすると一連のアレコレが人災であるという側面も踏まえてこの設定にしたのかもしれないが、視聴中も「この設定でいくと、現実とフィクションの境界をはき違えるなと怒る人がいそうだな」と脳内インターネット住民がひやひやしてしまった。自分自身がそうとらえるかどうかというより、そう突っ込まれても致し方ないような”隙”が放置されてしまっていることの心配だ。そしてこれだけの大きなギミックなのに、それを起してしまったのはたぶん宗太の父親だろうな…くらいの感じでしか作中では描かれていない。

主人公のすずめも能力を持つものとして、実は閉じ師の家系で、3.11を防げなかった閉じ師とは母親だった、みたいな胡散臭いyoutuberが唱えそうな説も物語のノイズを減らすという意味合いでいえばひとつの手だったのかもしれないと考えてしまう。(母親を失った悼みに、肉親があの悲劇を防げなかったという重圧が重なり、まったく違うストレスがかかる作品になりそうだが)

 

3.11を聖域として、フィクションで触れることは断じて許されない出来事にしてしまうのもどうかなという、正直に言えば当時愛知県に住んでいて大きな被害がなかった自分だからこそ「これくらいはいいでしょ」と能天気に言えない感覚や、きっとたぶん思い図らなければならないのでは?という戸惑いがある。当事者意識の無さが、逆にこの点への言及をしづらくしているのが本音だし、このノイズはたぶんずっと消えないままかもしれない。まぁ、リアルタイムであのいや~な時間を生きた時代の人間としてのフラットな感覚でこの作品を鑑賞したいところ。

だからこの作品は嫌いだ、いやだ、微妙だ、って話をしたいのではなく、この作品をどうとらえるべきか考えることが(大層なこと言ってしまえば)3.11以降の日本をどう生き抜くかという我々の生活と強烈にリンクする部分であり、エンターティメントをどう考えるかという思考実験にもなる気がするんだよな。

その上で、この作品は明確に未来を夢見る。そして叶えていく。また会うと約束すれば会えるし、私こそが、過去の自分の明日なのだという、これを言い切る強度と度胸がこの作品の良さだな。

 

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そんなところか。思いついた順に適当に書き散らしてしまったが、まだ小説版も読めていないので、ここからさらに考えを深めようと思います。

新海誠監督の新境地でありつつ、自分のなかで期待していた新海誠像から少しだけ離れた、過去最高の共感性を秘めた作品、というのが自分のなかの今のところの総括。

 

【ご報告】

婚姻届を提出してきました。さっき。

今日に入籍するっていう人らがまぁまぁいたようで、窓口に行ってみるとけっこう混んでいた。2022年10月22日は天赦日というやつで、えらく縁起がよいらしい。

本籍地になる先の役所が土曜日やっておらず確実な確認が取れるのが週明けになるとかで、ハッキリと「今日からだ」という気分も実感もあんまり無いふわふわした感じ。ここに至るまでの親族イベのほうがはるかに緊張した・・・今日の窓口なんか自分たちの番になったら10分そこらで終わったし、未だに実感がない。指輪をつけてみたものの正直に言って指毛のはえた指にリングはマジで似合わない。美しさがゼロ。たのむから指毛を剃ってくれ。

結婚というイベントをどうインターネットさせようかと少しだけ考えてましたが、最近の仕事がハードすぎてなにも追いつかないまま当日になってしまった。

せめてブログには今日になんらかの言葉を残そうかと書き出して、PC横の本棚から岩波文庫の「愛のことば」とか短歌の歌集とか引っ張り出してきて、そんなところからなにか拝借して書き出したらさすがに気色悪いと思いなおしたのが今。ホームであるブログでさえ挙動不審になっとる。

もともとはブログを一生懸命にやっていた人間ではあった。最近はブログ更新も滞りまくってひたすらツイッターやってるだけのおじさんになってますが・・・大切な節目にブログで文章を残すということはせめてしておくかという気分。

インターネット儀礼。例の写真と記事名【ご報告】。

 

来週末は電音部のアキバエリアミーティングに昼夜2公演参加するし、ミリオン9thも日曜は参加確定したし、2月のアイマス5ブランド合同ライブも通しチケットで申し込んだ。11月はナナシスの久しぶりの周年ライブにも行く。冬コミも参加したい。

結婚する前と、いったい何が変わったっていうんだ・・・。

コンテンツや楽しみ方は違えどそこらへんの理解をパートナーにしてもらえるのがとてもありがたいです。相手の話をネット上でする気はないですが、普通に仕事関係で知り合った人です。趣味人間2人組になったのでせめて生活が破綻しないよう気をつけたいですね。節約していきます・・・。

 

このブログはたまに感想を書き溜めて放出したいときとかに今後も使っていくので、また引き続き、よろしくおねがいします。

懐かしい曲語り:月飼い/ポルノグラフィティ

以前、J-POP20年ベスト30を個人的に作る記事を書いた。

この記事中ではシングル曲あるいはMVが制作されたいわゆるリード曲であることを条件に選定していた。

思えば自分なりに縛りがないと決めづらかったのだが、ここで本当に正真正銘になんの縛りもなくマイナーメジャー問わずに好きだった曲を集めてみよう。と最近になって思いついた。

順位もなくただ自分が懐かしいと思う曲を放り込むだけ。自分だけにぶっささるプレイリストを作りたいなとチマチマ昔のことを思い出しながら曲を探している。

そうしているうちにやっぱり懐かしい曲にはそれなりに語りたいこともあり、今日はそんな感じでブログを書き出した。勢いだよこういうのは。

 

 

open.spotify.com

ポルノグラフィティの「月飼い」。

言及したことがあったかなかったかは忘れたけれど、初めて小遣いで買ったCDは「メリッサ」だった。この曲はシングル3曲目に収録されているカップリング曲だが、メリッサと同じかそれ以上に好きな曲だった。

 

ハガレンのアニメを見てそのまま買いに走ったのは当時のキッズの定番ムーブなのかもしれないが、そもそもキッズなのでカップリング曲なんてものの意味がわからず、最初はなんか知らん曲だからあまり聞く気もせず、メリッサだけをたくさん聞いていた。キッズなのでほかのCDもたいして持っていないので、やはりメリッサばかり聞くのにも飽きて、せっかくだしと2曲目「見えない世界」と3曲目「月飼い」も聞いた。

正直いってメリッサと同レベルでカップリング2曲ともメチャクチャいい曲だった。

そこからポルノグラフィティというアーティストへの興味が増していき、ちょうどよく発売されたベスト盤青リンゴ・赤リンゴを2枚とも購入した。中学1年生のころにまじでずっとこのベスト盤2枚を聞きまくっていた。いまだに全曲歌詞を見ずに歌えるし、イントロクイズもわりと勝てる気がする。じっさい大学サークルでたまに音源持ち寄ってイントロクイズあそびをやっていたが、ポルノは得意中の得意だった。

 

特定のアーティストの深みにはまり込む、そして音楽への興味を広げられた、そのきっかけになってくれたのがシングル「メリッサ」だし、この「月飼い」なんだよな。

 

この曲の魅力はなんといっても歌詞だろう。もちろん夜感たっぷりとサウンドもアキヒトの歌唱も渾然一体となってこの曲を素晴らしく仕上げているんだけど、この歌詞なんだよなぁ~……

月を飼うのと真夜中に
水槽を持ち出して窓辺に置いた

この一節の歌い出しから一気に引き込まれて、そしてタイトル「月飼い」の意味に気づくような構成。

ちょっと文学的な匂いがするのと、密やかな夜の儀式、その寂しく怪しげなムード、、、これが12歳マインドを直撃する。歌詞で描き出す場面がカッコよすぎるんだよな。

東から漕ぎ出した舟は
やさしい夜風を受けて
西へ行く遥かな時間を
たゆたう想いを乗せて

しかしこれがまたさすがの作詞家新藤晴一、サビで一気に光景が広がる。部屋でひとり水槽を眺めていたはずが、まるで夜の大海原かはたまた違う世界なのか、曲の展開と合わせていっきに視野が広がり、おおきく動き出すようなスケールを感じる。12歳はもはやわけも分からず勃起する。

 

2番からは「君」が現れる。しかしどうやらすでに去ったらしい。じゃあ今はどこにいる?そんなミステリーが始まり、しかしフレーズひとつひとつ、全てがまるで終わってしまったことを惜しむように語られていく。

2番サビ、これがまた泣けるのだ。

朝が嫌い 君が言ってた
全てを白々と見せる
はじらう夜 ウソも痛みも
綺麗に隠してくれる

このあとギターソロに入るんだけどこれもめちゃくちゃいいプレイ、まじで音楽でここまで感情を表現できるんだって気持ちに未だになる。

 

そして「僕」は、水槽の水を捨てた。月を空にかえした。

恋人よ 最後の恋人
その舟にちゃんと乗れたかい
恋人よ 僕も向かおう
歩くスピードで近づこう

 

 

………くぅ~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!

 

当時はこの曲がもつ、おそらくは死別であろうドラマ性をはっきりと読み解くことは出来ていなかった。けれどキッズながらにこの曲の開放感と、それから大きなおおきな喪失感にメチャクチャ痺れてしまっていたのだ。このラスサビのアキヒトがまた泣ける歌いまわしをしてるんだコレが!「その舟にちゃんと乗れたかい」の所とか最高だよ!!

シチュエーションとしてはとても女々しいんだけど、「恋人よ 最後の恋人」という所のまるで勇敢な宣誓のような言い回しがまたニクい。ベタもベタ。それが良いのだ。君のことを忘れられない僕のまま、歩くスピードで近づこう。

 

そんなこんなで12歳の自分が音楽にドはまりするきっかけになった、そんなに知名度はないけど大切な1曲「月飼い」の話でした。

 

 

いや、この記事書きながら聴き直してたけどマジで「月飼い」いい曲だな。ポルノのカップリング曲はいい曲多いんですよ。

隠れ名曲が多いということは当時から言われていたけども、当時はレンタルや中古で古いCDを手に入れるしかなかったけど、いまやサブスクですぐにアクセスできるんだから本当に楽になったなぁ。

ポルノのカップリング曲といえば「冷たい手~3年8ヶ月~」「天気職人」あたりも好き。サウダージのシングルとかあれもうミニアルバムみたいなまとまり方してるもんな。

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また書きたい曲が出てきたら同じような記事を書くかもしれない。けっきょく昔語りと思い出がたりがなぁ~~~~~楽しいんだよ!

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクションが完結したので

デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション最終巻となる第12巻が発売され、しばらくが経ち、もう今更という具合だがなんとなく考えがまとまってきた。いや嘘、あんまりまとまっていない。ただ少し感想を書き残しておこうと思う。この3連休とくになにもないので。

ネタバレを含むので未読で気にするかたは注意でお願いします。

 

 

 

 

この作品、前のFC2ブログ時代からずっと感想を書き続けてきた作品だった。コミックスが発売されるたびに。最後のほうはサボってしまったけれど……個人的にすごく思い入れの強い作品だった。連載中は、たぶんすべての現行連載作品でもTOP5に入るくらい続きを楽しみにしていた。その完結とあれば何かしらが書き残しておくかという気分だ。

スピリッツで第一話を読んだときから「俺が本当に読みたかった浅野いにおが来た!!!!」と鼻息荒くなったのを覚えている。風刺的なとげを残したエッジの効いた作風が、漫画表現そのものを革新させるようなチャレンジと同居してとてもスタイリッシュだった。主人公の女子高生ふたりの会話はすっとぼけていてナンセンスで、でも空元気のような虚しさも漂っていた。青春の終わりと人類の終わりが同時に忍び寄ってくる……そんなセンチメンタルいにお汁がブシャブシャとあふれ出ていた。そして世界の終幕を目前とした暗澹たる設定。「最終兵器彼女」のアシスタントとしても参加していた事があるという浅野いにおが満を持してド直球のアポカリプス物・セカイ系を描こうと取り組んでくれていた。最高だった。

 

最終巻の感想を率直に書くなら「ちょっとだけ、思てたんとちがう」だった。
付け加えると、それでも好きな作品であることに変わらない。まったく。

 

最終話は文句なしに素晴らしかったと思う。門出とおんたんのたどり着いた未来は思ったよりずいぶんとちゃんとした大人になっていた。

3巻で「私たちちゃんとした大人になれるのかな」と語らうシーンは、もはや人類に未来はあるまいという状況を知らずにその言葉が紡がれたものだからメチャクチャ心に突き刺さるシーンではあったのだが、彼女たちはそんな未来をちゃんとかなえる事が出来たのだ。

 

引っかかる点としては、その未来というのは別の世界線での出来事だという事だ。

いや、もう、「人類滅亡」したんだから……もう未来というのは無いんだよ……とは思う。思うのだが、11巻クライマックスで門出のお父ちゃんが目を覚ました後からこの12巻はながいエピローグが紡がれていく。日本だけではなく世界中で起こった大混乱。あたらしい戦争。荒廃。

まるでこれまで描かれてきた宇宙人VS地球人を逆サイドからなぞるように、立場を逆転された人類はかるがると命も棲みかも奪われ続ける地獄。ここらへんは作品中盤からにおわせていた構造だったので納得感がある。まさに伏線回収だ。

 

自分がモヤモヤしている原因としては、「おんたんが門出を助ける為にタイムリープして捻じ曲げた世界」が本作の舞台であったのだから、人類滅亡後の彼女たちの行く果てはしっかり見せてほしかったという所が本音だからだ。

人類滅亡は、少なくともこの世界線では、おんたんがそのトリガーとなったから、それは必要なことのように感じた。

記憶を取り戻したおんたんが罪悪感にさいなまれる描写も度々されてきた。その終着点として荒廃した人類や世界を描写してくれるのに、とうの主人公であるおんたんと門出がどのように生き延びているのか、あるいは出来ないのか。

「おんたんが選んだこの世界線」をその未来ごと描ききるこの作品の責任。そこで生きるおんたんの姿を描くこともまた同じくこの作品とおんたんが背負う責任。そんんなことを考えていた。

それに固執した視点で言うならば、どちらも中途半端になってしまったと感じる。

 

 

終末世界は執拗にこの12巻では描かれている。人類がしぶとく戦い続けている中でわずかな希望も見えるような描写。もともと主人公をとりまく半径5メートルの外側にもリアリティを追及していた作品だけに、それが最後まで徹底されている。ほとんど救いは無いんだけど……。

その世界線で描かれる「救い」は、タイムマシンによる世界線移動だという事。ここの部分について議論がされているように感じる。本作ではその存在を知り、門出の父親は娘と再会するために世界線を移動した。

肉体的な移動ではなく、意識というか正解へのヒントを少しもった状態でゲームを最初からプレイできるような感じなので、かなり運にゆだねられている形ではある。が、じゃあこの壊れた世界はどうなるんだ?こんな世界でなお目的をもって生き続けていこうする人々がいる。なんというか最終的な結論としての「こうなっちゃったらもう仕方ないよね」という感覚が、緻密に積み上げられてきたこの作品を最後ちょっとだけ陳腐にしてしまったような気がしている。

終末世界でもおんたんと門出が生きていて、生き続けていこうとしているという姿を描いてくれていたらなら受け止め方も違ったという思う。

それであればおんたんが苦しみと決断が、本作1巻~11巻までの長いみちのりの果てに得られた、この世界線でしか成しえない数少ない結晶であったと信じることができたはずだ。

 

人類滅亡への大きなうねり、その発端を担う運命の少女たち。ただ翻弄されるがままで終わってしまったのだとしたら少しばかり虚無感はある。エンタメ主義的すぎるかもしれないけれど。

いろんな含みを持たされているエピローグだから、2人の今かあるいは遺したものか、世界になんらかの影響を及ぼしているような示唆はある。明言されないがtypeDの2機というのは作者的には匂わせのサービスかもしれない。少女ふたりがこれに乗り込んで戦ってるような夢のスピンオフだって、夢じゃないのかもしれない。
見たいか?と言われれば…………見たいだろそれは!!

 

 

個人的には「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」という作品は11巻でエンディングを迎えている。見たかったものはおおよそ11巻で描かれいた。
12巻はアンコール公演、ちょっとした蛇足感もまた愛おしい。

それでも、
別の世界線の断片をたどってどうにかたどり着いたクライマックスだ。竜騎士07ワールド的にいえばカケラ遊びの最果てにあるハッピーエンドである。

最終話、聞こえてきた別の「おんたん」と「門出」の声。世界と世界は干渉しあう。あっちの世界で戦い続けている彼らは、いつかこの世界で再会できるだろうか。

 

デデデデは2014年から連載が始まって完結までおよそ8年。著者のキャリアのなかでもわりと異質な作品でもあって、初のアニメ化に至ったというのも納得のキャッチーな要素てんこもりな作品だったと思う。

世相を反映したシニカルな登場人物たち(わりと多方面に冷笑的)が描かれたり、漫画表現の実験場として執念じみたカタストロフ描写などオルタナな要素がうまくポップに溶け込んでいたのも大きな魅力だった。

とくに11巻の崩壊シーン、12巻の再編(タイムマシン)の表現はひさしぶりに漫画表現というもので背筋が凍るような、神々しさのようなものを突きつけられた。

あとはこの作品をどう映像に落とし込むのか、アニメ化を楽しみにしたい。

dededede.jp

 

 

 

この物語はフィクションです。「さよなら絵梨」

 

 

shonenjumpplus.com

 

 

 


2022年4月11日の0時、本日公開された藤本タツキ先生の「さよなら絵梨」という短編について
滅茶苦茶すき!!!!最高!!!!!!って感情と
バカにすんな!!!!!!って感情でごちゃまぜになっています。

ネットの意見に流されやすい性分なので、TLの芯を食ったツイートを見て自分の意見が書き換わらないうちに自分の感想をいったん整理しておこうかと思います。

前提としてチェンソーマンは大好き、ファンアパンチは好きだけど理解しきれない、っていう感じの人間です。

洋画が元ネタだったり作中に出てくる作品でもありますが、ファイトクラブくらいしかわかるものが無かったので、そこらへん絡めた言及はなにもできない・・・俺は無力で無教養・・・。

 

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まず、吸血鬼の美少女とのメロドラマ的な作劇として捉えるならば。
タツキセンセの描く「ヤバい女」像のド直球を放り込んでいてめちゃくちゃド性癖マンガだったな、っていう表層の話。

主人公とを結びつける「創作への執着」というのも説得力と切実さがあって好み。
吸血鬼としてのながい時を生きる彼女の虚無感。
一方で、刹那を切り取り作品に仕立てあげる映画を、人間でしか成しえない営みとしてどこか眩しく焦がれるような思いでいたのかと思うと、主人公との映画漬けの日々が彼女にとっても貴いモノだったのかもしれないよな。

 

あえて単調な4コマ漫画進行(からの破調としての大ゴマ)と、タツキセンセのあのタッチから醸し出されるドライなのにウェットな演出は、細かな部分には目をつむるとして(目をつむれるか?あの大オチで)上質な感動系ストーリーとして成立している。

とくにフィルムのような、スマホで撮影した映像を徹底的に漫画に落とし込んだ表現は、さらさらと読めるからこそ独特のテンポが生まれてくる。

ページのあっちこっちに目を走らせる普通の漫画とは違って、1点をながめてると勝手にカットが変わっていくような感覚、そういう意味でも映画的なのかもしれない。

漫画の技法には詳しくないので、あくまでも感じたものとして書き留めておく。

 

だからこの読み切りはただのクソ映画ではなく、
丁寧に丁寧に下ごしらえをして完成した一皿であることがキモなのだな。
それを木っ端微塵に吹き飛ばすからこそ本作「さよなら絵梨」。

 

主人公「優太」は信頼できない語り手ではあるのけれど
どこまでをフィクションと解釈するかにしても
作中で描かれる優太の感情はすべて、なによりも雄弁な真実だろうと思う。

虐待する母親への反抗、本当のことを映さない偽物の作劇、そして受け入れがたい死もなにもかも爆発オチでしか昇華しきれなかった処女作「デッドエクスプロージョンマザー」。

絵梨と出会ってからのフィルムは、とにかくはかなげで妖艶なクセのつよい彼女の魅力が全編みなぎるような描き方をしている。

絵梨をかわいく描けないとこの漫画=映画の力がそがれるだけあって、タツキヒロインの中でも最高の魅力を携えたファムファタールとして君臨していると思う。「極論、映画って女優を魅力的に撮れればそれでOKでしょ」ってポンポさんも言ってた。

 

最後の爆発オチも、真意はどうであれ確固たる意志であのド派手な大オチを選び抜いているんだから、意味を感じ取りたくなる。
感じ取る意味なんかねーーーよって作品にそっぽ向かれているけど、でも読み取ろうとすることが楽しいからいいのだ。

 

もしかすると母親同様、現実の絵梨は本当にロクでもない女だったのかもしれないし、彼女の死は本当(吸血鬼というのがウソ)で、彼女ともう会えない感傷を
そもそも「デッドエクスプロージョンマザー」のリメイク作として映画「さよなら絵梨」を考えるなら、爆発オチだって当然のことなんだよな。

 

 

それにしてもなにが本当かわからないこの感じ、
どう解釈をしても躱されるような、リアリティラインを透明化させているこの手つき、本当に意地悪だな・・・・・・。

 

「さよなら絵梨」は作者への信頼を損なう可能性を作者自ら放り込んでいるし
それどころかあまねくフィクションすべてを信じられなくなるような危うさまで突き進んでいると思う。「ぜ~~~んぶ作り話!おれの妄想!」って言われて醒めない読者はそうはいまい。
どれだけ好意的に解釈しても「最後に爆発させてなんの説明もなく終わったクソ映画」っていう評価は免れない。だがすべて計算づくでやっているのが分かるから、よけいに悪質なのだ。余計に最悪なのだ。


200ページかけてこんなオチを食わらせてくる、最高級の悪ふざけ。
なぜなら、この漫画を読んでまっさきに浮かんだ感想、作者に先読みされてぜんぶ作中で言われてるのだから。
学校の体育館で座って「なにを見せられたんだ?」と困惑したり憤ったりの生徒A,B,Cが俺たちなのだ。

もう全部わかってて、読んだ読者がどう感じるかも織り込み済みで、このサイテーな爆発オチをやったんだ。映画好きな作者が一生に一度だけ使える必殺技だよな、漫画で爆発オチ。フラクタル構造(使っておくとなんとなくかっこいい評論表現です)があまりにも気持ちよくハマってくるので、読み終わって整理していったら「お見事!!!!!!!」としか考えられなくなった。

連載でやったら大炎上だし(とくにチェンソーマン2なんかでやらかしたらもう)、でもこの爆発オチの威力をめいっぱいまで引き上げるにはたっぷりの助走が必要だし。

最高火力で爆発オチをブチかますには「チェンソーマン」からの「ルックバック」でじっくり読み込もうっていう読者がワンサカいる今、読み切りでやるしかねぇ!!
っていう作品をめぐってのリアルな状況からもこの作品の意図が感じられるのが余計に最高。大馬鹿だろ。

 

後半になると、ここで「終」って入れられそうだな~と感じられるようなシーンがいくつか続いていく。それらを超えていくととびきり美味しいデザートのような爆発オチが待っている。

でも爆発で終わるからこそスッキリする。こんな不条理も愛おしくなるのは、いくつかの"本当"が心に刺さっているからなんだろう。


ほとんどなにも信じられないこの作品で本当だったものは
語り手である主人公の感情と、例えば優太の父親が語るような創作者の矜持。絵梨が抱く創作への情熱と深淵。創作者は創作物をどう描いてもいいしどう扱ってもいい。ただそこには傷つく覚悟が伴う事。
ぼくら読者はそれを肯定してもいいし、Noを言ったっていい。白けたんならそういって良い。そもそもが虚構なのだから、なにが本当かも全部こっちの気分で受け取ればいい。

訳知り顔のオタクがネットでフニャフニャ言うのより、この作品を読んで純粋に困惑している人の声を聴いてみたいな。


「この物語はフィクションです。」
分かっていてもその虚構に思いを馳せるし、癒されるし、興奮するし、ともに絶望ができる。俺は漫画やアニメや音楽が大好きで、それは全部作り物と分かっていて、でもなーんにも良いことないような日常に、そのひとつまみのファンタジーが、欲しい。

 

こんなクソ映画みせられたのに、翻ってとんでもなくデッカイ創作愛をぶつけられて、マジでなんなんですかコレ?