「正直どうでもいい?」

漫画 音楽 娯楽

読み解きエッセイ、あるいは解釈バトルへの手引『ぼくの短歌ノート』

 

  ぼくの短歌ノート (講談社文庫)

短歌ってなにがおもしろいんだ?

と改めて考えてもよくわからない。昔から広告のコピーなどを覚えたりどんな狙いがあるのかと裏を考えてみたりするのは好きだったので、その延長のようにも思う。

あるいは定形のなかでの様々な表現の模索だ。

5・7・5・7・7、合計31文字。そのルールはあるものの、狙いによってはあえてそこから外れてみたり、区切りよくすることもできるけどあえて句をまたいでテンポ感を変えたり。 愛唱性、いかになめらかに心地いい日本語であるか。あるいは違和感のスパイスによって魅力的になるか。

加えて「私」を強く出すことが求められる土壌も、個人的には読み応えのある文学だと思う。

とまぁ面白く感じるポイントをなんとなくは認識はしているものの、じゃあ一首を前にして「この歌をどう読む?どこが魅力?なにを面白いを感じる?」と問われても99%たじろぐばかりなんだよなぁ・・・

 

 

そんな迷える短歌ビギナーあるあるとして、やはり短歌界のほむほむことレジェンド穂村氏の解説本を大量に摂取したくなる。

氏は歌人だが、出版しているのは歌集ばかりではない。 いまはエッセイ本と、今回取り上げる短歌評論系の本をおおく手掛けられている印象。 ベスト盤的歌集「ラインマーカーズ」を読んで感じた、その軽妙な語り口から繰り出されるロマンテイックで複雑怪奇な世界観。 けれど短歌の初心者に向けた指南書であるとか、あるいは批評、もしくはエッセイのなかにもそういった穂村エッセンスは強くきらめいている。「勉強になる」というよりマジのマジで楽しく読めちゃう魔力があるんだよな。

 

穂村さんの短歌指南書・評論は複数読んだけれど、個人的に一番ハマったのがこの「ぼくの短歌ノート」だ。 (「短歌の友人」は専門的な部分も多くで、やや難しかった。。

 

ノートというだけあって、穂村さんが好きな歌を紹介していくのだが、 「この歌のここがすごいなぁ」から入り、 「どういう意図と技術がこの歌を特別にしているのだろう」という分析の流れが徹底されている。 穂村さんの思考をたどってたくさんの短歌を味わっていくうちに、歌の良さを共有できてしまう。そして短歌そのものへの興味がどんどん上がっていくのだ。 評論というと硬いが、自然な話運びでエッセイ本のようにサクサク読める。

 

いわゆる名歌と呼ばれるような歌を目の前にしても、 「魅力がどこなのかわからん」 「技術的にどうすごいのかサッパリわからん」というケースもかなり多い。自分がまさにそうなのだが。

例えば与謝野晶子の『みだれ髪』に納められている有名な歌 「やははだの 熱き血潮にふれもみで さびしからずや 道を説く君」 これひとつにしたって、味わうにはいろんなバックボーンを理解する必要もあったりする。

あの時代の女性がそもそもどういった状況で、 歌人としての女性がどのような作品を残していて、 与謝野晶子がどのような人生を歩み、どんな状況かでこの歌を生み出したか―――

そのまえに、学生時代の不勉強があだとなり 「そもそも"さびしからずや 道を説く君"がなに言ってんのかわからん😢」

という初歩の初歩の問題にブチあたることも数多い。それは俺が悪い。 現代短歌ではなく旧仮名でうたわれている歌や、和歌の領域になってきたらもうお手上げ。そもそも音読できねぇんだよ俺はよ。どんな言葉遊びが隠されているのか、比喩を重ねてるのか、もう古文の授業みたいな解読はまずひとりでは楽しめない。

そういう、もう、元の子もない状態からでもこの本を読んでると短歌が楽しめる脳みそにされてしまう。それだけ懇切丁寧なリードをされている。

さらに言えば歴史に残る名歌や有名歌人の代表歌だけではなく、ひっそりとたたずんでいる歌、 いわばプロによる作品でもない路傍の一首を拾い上げ、その歌の隠れた魅力を暴き出していく。いや、もしかしたら作者の意図以上に拡張してあじわっている部分もあるかもしれない。

歴史的背景も作者のパーソナリティもまっっったく知らないで触れた一首に心射抜かれることだってあるわけで。

むしろそういうプリミティブな感動にも、この本は強いリスペクトを持って体当たりしてくれている。 そもそも短歌は新聞歌壇もあったりアマチュアのすそ野がすさまじく広い文学なんだよな。

紹介されているものをいくつか引用する。

したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ(岡崎裕美子)

容疑者も洗濯をしていたらしいベランダには靴下揺れる(下岡昌美)

美しい断崖として仰ぎゐつ灯をちりばめしビルの側面(大西民子)

最後だし「う」まできちんと発音するね ありがとう さようなら(ゆず)

永遠に忘れてしまう一日にレモン石鹸泡立てている(東直子

潮騒』のページナンバーいずれかが我が死の年あらわしており(大滝和子)

いま死んでもいいと思える夜ありて異常に白き終電に乗る(錦見映理子)

一目で「うお!この歌好き!」となるファーストインプレッションから 「この技法、リズム感、メッセージ性、強え!」という感想にステップアップできるのは本当にありがたいし、めちゃめちゃ楽しいです。 その歌のどこに自分が惹かれたのかをきちんと言語化される快感がつねに続く。あたらしい発見の連続。「やははだの 熱き血潮にふれもみで さびしからずや 道を説く君」だって、小難しいのはさておきこの歌めっちゃいい事言ってない?カッコよくない?

この本を読んで初めて知った短歌というのも本当にたくさんある。 単純に素敵な歌との出会いをもたらしてくれる意味でもかなり身になる。

 

 

 

余談だけど、初心者から見ても穂村さんがたまに飛躍した解釈をするときもあって 「短歌はどんな自由な発想で読んでもいいんだ!」という気持ちにさせてくれる。 そしてそういうのも面白さだとつくづく思わされる。

別にこの本はその歌の正解を教えてくれているわけではない。 ただ、穂村さんというプロの歌人の読み方や味わい方を知れる。あくまでも例にすぎない。別に「俺はこう思ったんだけどなぁ」なら別にそれでもいいんだな。

これは漫画や小説、音楽でもどんな物語でも思っていることなんですが 作者が込めたメッセージを正しく受け取ることだけが正解なのではなく、 偶然その作品が宿してしまった運命のような魅力だって、間違いなくあるる。

例えばいま世界を大混乱させている新型コロナウィルスを経て世界は変容し、 2020年以前とは2020年以降では、まったく違った味わい方ができるようになった作品もある。 「天気の子」のタイミングは、まさに運命としか思えないほど神がかってましたね。

個人の体験の有無によって解釈が違うことだってあるかもしれない。 短歌はたった31文字しかないのに、そこで解釈バトルでバチバチやれるなんて楽しすぎるよな。

アイドル解釈違いでnote書くやつ。短歌を読め。

 

 

穂村さんの本、たくさん買って少しずつ読み進めているのでいったんここで読み終えた本をまとめておく。

評論系「はじめての短歌」「しびれる短歌」「短歌の友人」、

エッセイ「もうおうちへかえりましょう」「鳥肌が」「もしもし、運命の人ですか。」「現実入門 ほんとにみんなこんなことを?」「ぼくの宝物絵本」

このほかにあと文庫本5冊くらい積んでるので、はやく読まないとな・・・

 

 

ぼくたちはこわれてしまった『中澤系歌集 uta0001.txt』

以前、かなり散文的に好きな短歌を書き並べた更新をしたが →https://inmsazanami.wordpress.com/2020/01/20/tensyoku_tanka/

そこでも書いた中澤系さんの歌集についてもう少し深堀りしてみる。

短歌はここ最近ハマったところ。まだまだ多くの歌集を読めているとはいい難いけれども、この歌集は特に印象深い。

  中澤系歌集 uta0001.txt

 

「生きづらいこの世の中」を31字に表現した、天下一品の歌人の唯一の歌集。

どこで知ったのかというと記憶はあいまいだが、たしか「ねむらない樹」だったかな・・・と思い読み返した。

そうだ。vol.1の「新世代がいま届けたい現代短歌100」に取り上げられている。毎号たのしみにしてます書肆侃侃房さん・・・・。

加えて穂村弘さんの短歌入門書をいくつか読んだ中にも、中澤系さんの歌を多く目にすることになった。特にこの歌については様々な本で繰り返し言及している。

 

3番線快速電車が通過します理解できない人は下がって

 

一読してヒヤりとさせられるような感覚はないだろうか。 個人的にも、1度読んだら忘れられないくらいのインパクトと覚えやすさだと思う。

「理解できない人は下がって」というフレーズの冷たい響き。そして耳慣れた駅のアナウンスなのに、どこか悪夢のようにねじれた世界観。

電車が通過する際、アナウンスはもちろん「黄色い線の内側にお下がりください」だ。 だがこの歌においてはなにかを「理解できない人」は下がるよう、その声は投げかけられる。 生命の危機を回避するためではない。 理解できない人。ルールを知らない人。なにも考えずに駅のホームに立つ人。 そういった人間を遮断するかのように。 そうすることで安全な社会を得ている。安全を仕組まれたシステムによって。

じゃあ「理解できる人」は? 下がらずに、前に進み続けるのかもしれない。時代とともに。 そしていつか轢き殺されていくのかもしれない。

 

自分にとっての常識や価値観、当たり前のルールから明らかに逸脱していることの不安感。けれどどこかで諦観の果てのやわらぎのような感触もあるような気がする。 なんだろう。行き場のない人に「あなたはあっちですよ」と、案内をしてくれているような。それはもしかすると死の世界へのいざないかもしれないのだが。

この一首だけでいくらでも時間を費やせそうだ。それくらい入り組んだ感情を、このみじかい詩は閉じ込めている。 この歌って主人公もいなけりゃ「君」もいない。殺風景なラフスケッチのようにかわいた感触。だれの、どんな感情も読み取れない。

 

我々があたりまえに生きているこの世界に、ひとしれずポッカリと大穴があいていて 下ばかり向いている人だけがそれを見つけ、覗き込んで、ずっと目が離せないままでいる。 なんだかそういう、残酷な世界のバグのような光景に惹きつけられてしまうのだ。

 

中澤系さんはこういった感触の歌をたくさん遺している。 遺していると書いたのは、調べればすぐわかることだが、中澤系さんはすでに他界している

コミュニケーションがとれない難病におかされ寝たきりになり、2009年に息を引き取ったという。

本作に収録されている代表的な連作「Uta0001. txt」は1998年に賞を取っているのだが その作品も含め、ディストピア的な世界観で非常に現代的なテーマを取り上げている。 windows98が発売されたその年の前後は、インターネットは少しずつ一般に普及を始めていたころだ。そんな時代にも関わらず、いやだからこそか、この作品は非常に現代的でありながら世紀末的な厭世観があふれんばかりに詰め込まれている。

新しい時代や技術の到来は、人間本来の孤独をより濃く深めていく作用もあるのかもしれない。 そういった時代の背景も踏まえるとよりこの作品のすごみを感じられるように思う。

 

 

ぼくたちはゆるされていた そのあとだ それに気づかずいたのも悪い

「そのあと」・・・・・・なにが起きたのかは何も示されていない。

許されていたとされるものがなんだったのか、当てはめるワードを変えればまるで景色が変わってくるところも面白く、懐の深い歌だな。例えば「恋」でもいい。「知識」でも、「命」でもいいと思う。

とは根底にあるのは「許し」の肯定感は、すでに失われているということ。許されていたことは、すでに手遅れになってから知るのだ。

この感覚。どうしようもなくなってしまった喪失感。 このポエジーが本当にひたすらに続くものだから、精神状態がよろしくないと本当にメンタルを持っていかれてしまう。

 

小さめにきざんでおいてくれないか口を大きく開ける気はない

これも社会のシステム性を感じさせる歌だ。受動的な生命。

中澤系の歌の歌はこういった不思議な表明や問いかけなど、だれかにむけた言葉で表現されている場合も特徴的だと思う。そういう評を見かけてなるほどと思った。 →現代歌人ファイルその7・中澤系 http://bokutachi.hatenadiary.jp/entry/20081022/1224676758

宛先のないメッセージのようで、それはまるで社会構造や神といった超越的な存在に向けられているようにも感じられる。(もしかしら専門に哲学を学んでいたという経歴も影響しているのだろうか) だからこれは孤独な人間が窮屈な社会のなかでせめて発したかった極限の言葉たちなのだろう。

しかしけしてこの歌集は一人の苦しみからくる歌ばかりではない。

 

長き夏の翳りゆきうす赤く染まる世界のなかに二人は

いた。「二人」いたぞ!でもなんか不穏なんだよ・・・

モノクロの世界ではなく、めずらしく色彩感覚の豊かな歌だと思う。夏。翳り。赤。 本で読んでいるとふとこういった温度感のある歌にまれに当たる。ほんの少し心を安らげることができる瞬間・・・ それでもこんな歌にも喪失感を強く香っている。だからこそ閃光を見たあとのように網膜に影がのこり続ける。焼き付いて忘れられない思い出のように。

 

はなれゆく心地したりき快楽のためにかたちを変えたる時に

状況としてはあきらかなんだが、こんな性愛の歌も「快楽のため」などどこか冷めた諦観のようなものがまとわりつく。 どれだけ深く愛し合っていたとしても、他者の存在がもたらす違和感があり続けることが「はなれゆく心地」と表現されているのではないかと思う。

ちがう精神と肉体を持った別の個体である。 快楽のためとわかっていながら、それでも寂しさが募る生物の機能。生殖のためにもたらされたシステムに踊らされるばかり。

 

ハンカチを落とされたあとふりかえるまでをどれだけ耐えられたかだ

ここまで連続して他者の存在が歌われている作品を挙げてきたが、この作品はとくにドキッとさせられる。 子供のころ遊んだハンカチ落しを思い出す。言うなればこの歌はそのルールを歌にしているだけなのだが、視点と言い回しでこうも意味深くなるかと衝撃的だ。

ハンカチおとしは言うなれば、標的をみつけその者を騙す遊びだ。 この歌はその標的となった側からの言葉だが、不思議なことに「振り返るまでを耐える」という心の動きがある。なぜか。

信じたいのではないだろうか。 まさか自分ではないだろう、そんなはずがないじゃないかと。 けれどこの歌はすでに自分が標的となっているところから始まり、自分がいつそれに気付けるのかいう、いうなれば騙されている一瞬の祈りが込められているのだ。 なんて残酷で。しかも面白い視点から放たれた歌だろう。

 

この歌集はけして孤独なのではなく、常に切ないほど他者を希求する心が描かれている。そしてその先の安堵も、絶望も、感傷も、祈望も。

 

ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ

そしてこれも代表作だろう。 この歌集を最後の最後を飾っているのもこの歌だ。

エラーを吐いたPCをシャットダウンするかのように言葉は遮断される。

この肉体がマシンだとしたら、いつかこんな風なエラーメッセージが流れ出すのかもしれない。なんてことない日常、安らかなシステムのなかで生命を循環させ続ける僕ら。こわれてしまったぼくたち。

終われるのだろうか。この歌のように。 こわれても、こわれつづけてもなお、生き続けなくてはならないのかもしれないんだ、ほんとうは。 なにも生み出せないガラクタとしてだれかに使われそして棄てられ、 新しいものと古いものが循環していくこの社会というシステム。 人類が社会のシステムに支配された機械のひとつのような感覚。

「ぼくたちはこわ」で途切れたことで無限の奥行を生み出している、すさまじい技だと思う。 歌集としても、この歌のこの言葉の途中で意識が落ちるという構成の美しさもある。 歌集をラストを飾るにはあまりにも完璧な一首で、この歌を100%味わうにはなんにせよこの本を読んでみるほかないと思う。

 

ネットでこの歌集をもとにした音源も発表されていたりする。

https://twitter.com/UNCIVILIZED_GM/status/1253350257997602822

いや、怖すぎんか・・・?

 

ネットを見ても、この歌集に関する話題はかなり多い方じゃないかと思う。

この本は氏の唯一の歌集だが、本当に多くの人を引き付けているのだ。

 

前回の更新よりかはもうすこしこの大好きな本について深堀してみたけど、まだ足りないな、全部を言語化できなくても、もっとすごいんだこの本は。自分では読み取れないほどの深淵があって、大切な感情があって、どうしようもなく孤独なんだ。ぜんぜん底に手が触れてない感覚がある。もっと読みたい。もっと読みたかったんだよな、中澤系さんの作品が。

 

 

 

なおもなおもその病巣は小康を保ち続けるらしと未明に

 

 

 

本当に未来はあるの 確かにあるの 『ドラえもん短歌』

  ドラえもん短歌 (小学館文庫)

 

いつだって「どこでもいい」と言う君じゃどこでもドアは使えないよね

 

ドラえもんをテーマに、ブログを通じて一般から短歌を募って制作された一冊。アンソロジー歌集と言えるのかも。

ここで見いだされたり、その後にプロとなった歌人の作品も収録。しかし基本的にはドラえもんが好きな一般の人々の素朴な視点から歌われたものが多い。

ここ1年ほどで短歌に興味を持っていろいろ読みだした自分にとって、まさに短歌初心者にぴったりと一冊だった。

とにかく読みやすい。うすめの文庫本で1ページ1首なのでマジですぐ読める。 「ドラえもん」というテーマも明快で、しかもその中で読み手ごとに違った視点で切り口で31文字の詩が詠まれていく。 サクサクよめて「なるほど!」とか「ここを突くか?」とか「わかる(わかるわ)(Ⓒ川島瑞樹)」とかが連発していくのが楽しいのだ。 すぐに一冊読めてしまうボリュームのアンソロジー歌集なんだけれど、歌の味がバラバラなおかげか妙に中毒性がある。 小学生向けに作られているような本ではなるけれど、小学生向けとは到底思えない大人の悲哀を描いた歌も数多い。 その振れ幅の広さも魅力のひとつなのだ。

例えばこんな歌

 

自転車で君を家まで送ってた どこでもドアがなくてよかった

素直にめちゃくちゃいい風景が浮かぶ。

技術は次々に進歩し塗り替えられ、いつしか世界は「自転車で君を家まで送」るような光景をなくしてしまうかもしれない。

けれどいま、まさにその幸福の渦中にいる主人公が「どこでもドアがなくてよかった」とたっぷりと余韻を残したモノローグ。これが肝なんだよな。便利な道具はもちろんほしい、でも今はそうじゃない。

ドラえもんへのアンチテーゼでもあると思うし、一方でドラえもんの漫画の中でも道具では解決できない問題や得られない幸福は描かれているわけで、様々なリスペクトを感じる。 歌自体の好みもあるけど個人的に「ザ・ドラえもん短歌」な一首だ。

 

武道館ファイナルをむかえジャイアンが不遇時代をついに語った

ジャイアンめっちゃ成功してるやん!

思わず笑ってしまう未来予想図。「ついに語った」の仰々しさとおさまりの良さも笑えるポイント。ロック音楽雑誌のインタビューかよ。

 

スネ夫って粋な髪型してるよな漢字で書くと「司」に似てる

わ、わかる気がする。思いついたまんま歌にしました、な無防備なテンションがまた面白い脱力系な一首。

 

かと思えば

奥さんがどこでもドアを持ってたらあたしたちもう会えなくなるね

いやその角度のえぐり込みアリか?ドラえもんだぞ

明らかに不倫の歌だが「もしドラえもんが本当にいたら?」という夢想を、このシチュエーションに持ってきたことで不毛な問いかけの切なさが出ている。

ドラえもんの秘密道具を「夢をかなえるアイテム」ではなく「夢のような日々を終わらせる脅威」として思い描いてるのも視点が面白い。

ぼくらの世界にいま「どこでもドア」はない。それでもそんな夢想をしてしまうのは、この関係を終わらせられるきっかけを待っているからなのかもしれない。

 

君と僕 ため息だけで会話して翻訳コンニャク出番はこない

翻訳コンニャクが必要なくらい距離ができてしまっても、そもそも会話がなければ道具の出番もないのだ。

ヒリヒリとした感覚が空気中に満ち満ちているのが浮かぶ一首。

 

あやまちはムードもりあげ楽団が変にムードをもりあげたせい

語句のリフレインが妙なテンポになっててクセになる。歌われてるのはしかも大人のビターな後悔だったりする。いいか。ドラえもんだぞ。

本当にムードもりあげ楽団が登場しちゃった世界を歌っているのかもしれないし、「私」の心がわんちゃか騒いでしまっただけなのかもしれない。ファニーな響きのかわいらしさがある歌で好き。

 

取り上げてみると、ドラえもんが実に様々な角度から鑑賞できる作品だということが改めて示されているように思う。

ドラえもんのキャラクターたちに感情移入したり、 彼らの未来をもっと踏み込んでイメージしてみたり、 ドラえもんで描かれる古きよき時代に思いをはせたり、 ドラえもんのいない、秘密道具もないこの現実で生き抜いていく自分たちを振り返ったり・・・

日本人にこれほど浸透している作品・コンテンツだからこそ共通言語として、このようなバラエティに富んだ歌集が誕生できたんだろうな。

ドラえもんのコンテンツの強度だし、歌集として企画の勝利でもあると感じる。

技巧派な歌というより素直な歌が非常に多いので、自分のようなビギナーにも優しい。マジで。やっぱ最初って歌の意味するところがわからんとマジでちんぷんかんぷん。

500円くらいで買える本なので軽率におすすめしたい。

 

 

大丈夫 タイムマシンがなくっても あの日のことは忘れないから

 

 

 

 

 

 

そうだ言葉で確かめるもっと君の声 『あなたと私の周波数』

   あなたと私の周波数 (百合姫コミックス)

 

ノーチェックだったけれどきっと秋葉原メロブでドンと展開されてて衝動買い。

軽やかな絵のタッチが好みなんですが、内容もいい。 女と女のあいだの深い情緒と感情が染みわたる。エロくもチャイチャもしていないけれど、生々しい温度感の作品に仕上がっていると思う。心が近づいたり離れたりするときの心の振動が新鮮。それでいて、立ち止まって振り返った時に耳の横を通り過ぎる風のにおい、みたいな郷愁が宿っている気がする。

軽やかなタッチの空白に、たっぷりとエモーショナルな情緒があるんだよな。

1話完結の短編を5作収録しているので、せっかくなので全作触れていきたい。

 

【あなたと私の周波数】

表題作。オフィスもののちょっと変化球。

古いトランシーバーを倉庫で見つけると、そこから誰かの声が聞こえてくる。 それはいつも屈託ない朗らかな同僚による、誰も聞いたことがないはずの愚痴だった。 意図せずに受け取ってしまった電波から2人の距離が変化していく物語。

気持ちのつながりを電波になぞらえていく過程がいろんな暗喩を含んでいそうで味わい深い作品でした。

だれにも聞かれたくない声だったとしても、たんなる思い付きのストレス発散だったとしても、電波にのせてメッセージを世界に放っていたという事。うまく感情を出すことができないひとりの女性のSOSだったに違いない。「私だってこんなに醜い、よどんだ心を持っているのだ」とあえて晒すことに、一瞬の露悪的な快感があったのだろう。

とはいえ、そんな愚痴も本当に性格悪そうなヤバい発言はないあたり、どこまでも善人なのだと思わされる。作中でもポジティブなエネルギーを持った作品。

 

【お前に聴かせたい歌がある】

1番好きかもしれない短編。バンド内で感情こじらす女の話はなんであれ最高。

バンドのベーシストが急に訪ねてきて「一緒に私の死体を埋めてくれ」と言う。爆速で俺の好きなヤツをぶち込んできたな。 ストーリーをすべて書き出すと面白みが薄れてしまうタイプだと思うのでこれ以上は言及はしないけれど、読後感がすばらしい。 最後の大ゴマは、本当に飾り気もない祈りのようなものが込められているようで、なんて美しいんだろう。 刹那から永遠へつながれていく音楽と、記憶のなかのランドスケープ

理由がまったく語られないあたりもお見事。意味がわかるよりも、そのままにしておいていい秘密なんだと思う。

「死体」と呼ばれ、そして棄てられていったものをみて「要らなくなったんだ」と嘆くのか。それとも「あなたの肉体になれていたこと」を尊さを覚えるのか。 すべてはその背中が語りかけている。

 

周波数1

 

 

電波の飛び交うこの世界で、ときたま捕まえてしまう声があるように。 あるはずなのに合わせられなくなった、もう捕まえられない周波数も無数にある。

 

 

【あんたが背中を見せたから】

さわやか~~~!!!!

陸上部のプライド高い狂犬が転入生にその地位を脅かされキャンキャンなる短編。

思春期に陥りがちな自意識のセルフ投獄が、シンプルに解きほぐされていく終盤の爽快感がいい。主人公のキャラクター性もふんわりとしたこのコミックスの中ではいい意味で緊張感を与えてくれている。

百合要素もあるけど、どちらかというと友情スポコンな読み味。すべての理由がタイトルに集約されているのも好きですね。

 

【君のすべて】

これについて述べたいのは結末の話になってしまうのだけれど、2人はちゃんと道をたがえなければ、心の空白を共有することはできたのだろうか。

この単行本に収められている短編はそのあとに書き下ろしの1カットが収められているのですが、2人が描かれている場合と1人だけの場合が分けられているのは未来を暗示しているのだと思う。 ちなみにこの作品の場合は、1人だ。

主人公にとって喉から手が出るほど欲していた父の愛を、一身にうける別の女の子。私たちなんだか似てるよねって笑ったりして、思い返せば思い返すほどに突き刺さる違和感、いや答え合わせのような近似。

大切な女の子ができた。だからこそ切り裂かれてしまう心の対比がとても切ない。 こんなん絶対耐えられるわけないじゃん、と思ったらやはり最後の書き下ろしである。

それだけ父の愛という空白は巨大なのだった。その穴を埋められる日がいつか来てほしい。

 

周波数2

 

【私たちの長すぎる夜】

飲んだくれながらバーでグダる主人公。初恋の人の結婚式の帰りにバーで爆泣きして、これではあまりにも悲しいではないかと思いきやふと隣に座るひとりの女性。

話のはずみで酒を飲み交わすことになった初めましてのはずの2人の物語。 はずだったから、ここから話は転がっていく。

最後のページで、ちゃんと「長すぎる夜」が終わり、朝を迎えているのも憎い。 悲しみにくれる長い夜は、続き続けていた夜は明けていく。

穏やかな顔で朝の電車に揺られてる2人の空気がほんとうにやさしげで読後感がいいんだよな。

粘り勝ち!

って感じのお話しだけど、きっと先輩のお眼鏡にかなうためにたくさんの努力をして自分を変えて戻ってきたのだからそれくらいのご褒美は許されていい。

主人公はかつて自分が後輩にした行いをそっくりそのまま還されていて、そういう意味でちょっとしたループ構造に入り込んでいた。そこから脱出したという意味でも、夜明けなのだろう。

 

周波数3

 

そんな5作を納めた短編集。

実はちょっと久しぶりに百合姫のデカいほうの単行本を買いましたが、いいもんですね。

ビビッドな表紙が印象的ですが内容は軽やかで優しく。 それ故に切なさの切れ味するどくセンチメントを突き付けてくるのも良き。

ちょっと懐かしい読み心地。ゆっくり何度も読み返したくなりますね。

 

 

 

 

 

 

GWがヒマすぎてプレイした「SEKIRO」

「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」をプレイしています。 ひとまず1週目は終えてボチボチ2週目の梟を倒したくらい。

FC2ブログからこっちに引っ越しをきたときに、もっと気軽に漫画レビュー以外の記事も書こうと思ってたのにやっぱり腰が重くなってしまった・・・。ので、急に軽率にゲームの話を書いてみる。

高難易度ドM向けと名高い、1年前にリリースされたフロムゲーですが そもそもフロムのゲームは過去にPS3でダクソ2をやっただけで、しかも普段アクションゲームほぼ触らない人間なので、発売前から知ってはいても買う未来は予想してなかった。

あまりにゴールデンウィークがヒマだから・・・買っちゃったよね・・・。

予定していたコミケ文学フリマシャニマス2ndライブも白紙となり、そもそも世間の状況的にものんきに外出なんてしてられない長期休みだったので 熱中できるような、普段なかなか触らないタイプのゲームでもやってみるかと。

そんなわけで世間の盛り上がりから1年遅れの感想です。

 

 

1週目の話。なるべく攻略サイトは見ないようにしつつ、ボス戦で10回以上死んで脳みそがふつふつとしてきたらyoutubeなり攻略サイトなりで研究、みたいなスタイルでやっていました。

まずオープンワールドゲームをちゃんとやったこと自体が初めてという始末。

RPG的な、新しいマップをクリアしたら新しい街があり、新しいダンジョンにいけるようになる・・・的なのに慣れすぎていた。 例のごとく初心者ハンター赤鬼さんに詰まるも、特性武器である火吹き筒はそれまでのルートにはないのが「え?」となるレベル(3年前の回想編にもぐって獲得するアイテム)

目指せる先は複数あり、同時進行的にプレイしていくことでちょうどいい難易度で進めることができる構成・・・だと思われる

・・・はずなんだが、そもそも別に特性武器を必要としない・特にムービーなんかも流れない中ボスでメチャメチャ死にまくるので、ストレスで脳みそがギンギンになりながら20回も30回も死んで最後はなんかしらんけど勝った(パリィがめちゃめちゃ冴えてた)、みたいな茫然としたなかで達成感を手にすることになる。特性武器なんかなくてもとにかく50回くらい死ねばなんとなく行動パターンがわかり、パリィのタイミングもつかめていくのは確かに上達の実感があり、ゾクゾクするポイントだった。

オープンワールドも初、死にゲーも初、という状況で進めつつ メチャメチャかっこいいバアアことまぼろしお蝶さん、 中盤への入り口こと弦一郎くんでそれぞれ50回くらい死んだころにはSEKIROというゲームがつかめてきた感じがある。

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まじで死にすぎてこのゲームやめたろかなと思った弦一郎くん戦

そもそも攻略サイトや攻略動画で予備動作を学びスキをつくコツやパリィの感覚を身に着けたところで、実際にプレイしている自分の反応速度までは急には上げられないのは当然の事。 とにかく間合いやテンポに順応できるまでプレイして死にまくるしかない。 死ぬたびにロード時間が10秒くらいあるのがマジでストレスになっていくのだが、まぁあのグラフィックを瞬時に読むことはなかなか厳しいのだろうか・・・。

個人的に大変だったのは弦一郎、獅子猿、破戒僧、梟、ラスボス、あと怨嗟の鬼。どれも50回は死んでるしラスボスに至っては200回くらい死んだ。

確かに高難易度で、こんなにゾクゾクしたボス戦はひさしぶりに体験したくらいの充実度があったゲームなんだけれど、ゲームにおける「むずかしさ」って何だろうなということを考えさせられた。

理不尽な判定や初見殺し、敵の高ステータスに追いつけない。繊細な操作を長時間強要される。というのはSEKIROにも確かにある要素なんだけど、 「動作でわかっていたのに、操作が追い付かなかった」 「焦って違う入力をしてしまった」 SEKIROにおけるミスはほぼぜんぶこれだと感じる。たしかに手掛かりは少ないのだけれどちょみとることはできる、その中で最大限のプレイができなかったのは自分のプレイミングのせいなんだよなぁ。

ゲームの出来や調整に不満がいくのではなく、自分のプレイングだと素直に感じられるギリギリの調整がされていて、そこがフロムゲーがここまで愛好家に愛されるゆえんなのではと感じた次第。 やってるとすごく集中できて、何十回も死んだボス戦をクリアしたときはまじで地震かと思うくらい体が揺れて、なにかと思ったら下半身が痙攣してた(実話)

不満をいうなればさくさくリトライしたいのに死亡後のローディングが気になることくらいかな・・・。付け加えるならば、ルート確定のフラグがわかりにくいんじゃ!とか、ボス戦が長すぎるんじゃ!とかもあるんだけど、まぁそこはこのゲームらしさでもあると思う。

1週目は不死断ちルートでENDを迎えました。

2回目の平田屋敷なんて入りかたがわからなかったし、かなり取りこぼしもしてしまったので2週目ではそこらへん攻略サイトみながら詰めていきたいところ。

そもそも1週目で九郎から手作りおはぎもらったから、大事にしようととっておいたのに、まさかその場で使用することが正解だったとは・・・たしかに食べてみてくれって催促されたけど・・・

進行パターンでNPCとの小イベントも変化していくのでいろいろ見て回りたくなっている。 SEKIROクリア後にちょっと積んでたペルソナ5Rも触ってクリアしたので(3学期以降)、ぼちぼち進めていきますね。

1周目ではあんなに苦労した梟に一発で勝てたときは脳汁出まくってシビれましたね。 プレイヤーの腕そのものの上達を感じさせてくれるいいデザイン。 ほかのゲームに浮気してから戻ってくるとまた勘を取り戻すのに1時間くらいかかるのが辛いところ。

そんな感じでSEKIROの話でした。