11/28新宿、
映画「滑走路」の上映&トークイベントに行ってきました。
普通に映画見に行ったらたまたまその劇場でトークイベントがあるってんで、なんとか当日券もギリありましたので見ることが出来ました。
この映画、珍しいのはもとが歌集であるというところ。
映画のもとになっている 歌集「滑走路」は自分もかなり記憶に残っている本でした。短歌にハマりだした当初かなり売れていた本で手に取ることも当然。
しばしば取り上げられるのは非正規の苦しみやいじめのトラウマといったネガティブで社会派な側面。しかし実際読んでみると、たしかにそのエッセンスは強いけれど、それよりもむしろその中であがくための自分を鼓舞するための、自由に心を羽ばたかせるための作歌の道程が感じ取れる。それでいて親しみやすくかなり読みやすい。短歌を読みなれていなくてするする読める心地よさがある作品。
ままならない社会や一度はくじけてしまった自分の人生というものへの、カウンター精神がベストセラーとして人々の胸を打ったのかと感じる。
まぁ、歌集の感想(だいぶ今更だが)は、あとで書くとして
まずは映画の話を進めておくとする。
テアトル新宿、はじめて行った!
他の好きな映画でもこの劇場はしばしば聖地・・・というか記念すべき劇場のような扱い方をされているような気がして、今年上京してきた元地方民からすると下北沢トリウッドと並んで「訪れるだけで感動する映画館」だ。なおトリウッドもまだ行けてません。
さて、映画だが歌集を原作としつつもかなり大胆なアレンジが加わっている。というか完全オリジナルストーリーですねこれ。
大きく3つのフェイズに分かれ10代「中学生編」20代「若手官僚編」30代「夫婦編」に分かれているが、主人公も環境もバラバラ。シャッフルするように3つの物語が断片的に同時進行していく。
はてなぜ3つの物語が別々に進むのか。といった所はもちろんこの映画の根底に関わるところなのだが、お察しの通りすべてつながりがあり、シナリオのなかでお互いの人生が干渉しあい主人公たちが呼応するようにそれぞれのクライマックスへと向かっていく。
ある意味では叙述トリック的な演出がされるので、とくに名前に関して、これから見る人は注目すると早めに発見があるかもしれない。
で、好きに書きたいのでここからネタバレありになるのでご注意。
---
構造を理解したうえでもう一度見返したい映画だと思う。
なにか仕掛けがあるだろうとは思いつつ、最初は30代の切り絵作家の翠さんのエピソードだけ非常に浮いているように感じていた。
各年代ごとに悩みや苦しみが描かれる本作、30代は30代ならではじんわりとした不安感やコミュニケーション不全感のような嫌~な空気が中盤まで漂っていた。
でもこれがどうやって中学生編のいじめや日々の閉塞感、官僚編の多忙極まる仕事のストレスや過去のトラウマや「自死」と結びついていくのかわからなかった。
しかし本作、一番に光を見せてくれるのは間違いなくこの30代編だ。
水川あさみさん、あまり意識してなかった女優だけどめっちゃいい演技するな・・・。
滑走路というタイトルからイメージされる飛び立つことの決意やエネルギーの面は、この翠さんの物語にかなり詰まっていると思う。
旦那さんの「翠はどうしたい?」という優しい声色で放たれるやさしい言葉が、映画の展開の中でどんどん響き方がかわってくるのも面白かった。それについて翠があきらかに不信を募らせていくのが言葉じゃない部分でこちらに伝わってくるし、あの張り手が飛ぶ緊迫のシーンなんかも、あきらかにこの瞬間に壊れてしまった関係性のはかなさのようなものが感じられてグッとくる。
30代編では夫婦間の問題がおきているシーンに何度が地震が起きる。これも面白い。まるで夫婦の心情を表すように揺れる。映画館の音響で聞くとリアルに地震きたようでビビった。でも作中のふたりはあまり動じるような様子もない。
後に明らかになるがこの30代編は実は現代より未来の話なので、この先震度3~4くらいではみんな動じないような地震多発時代に突入しているのかもしれない。マジ?
夫婦があきらかに壊れていくなかで決定的なセリフ「貴方の子だから堕ろしたの」はあまりにも強すぎる呪いの言葉だった。セリフの殺傷能力だけではなく演技も、スクリーンから並々ならぬ圧が放たれており、個人的には本作トップクラスの名場面だったと思う。
翠がした決断は、自分の将来もそうだがなによりはまず子供の存在だろう。この未来を選択したという事実が前を向かせるだけの力を観客に与えてくれているように思う。
そして子供というキーワードから20代官僚編へと接続されていく。
また中学生編の中盤、「わたしの名前を呼んで。下の名前で。」という思い出すだけで胸あつくなる切ないワンシーンだが、ようやく「ああ、やっぱり全部つながってる!」と気持ちよい種明かしを味わえる。セリフこれであってたっけ・・・。
(この前にもきっと気づける伏線はあったと思うけども・・・)
ところで、居間のソファでの性行為のシーンはやたらめったらに生々しく無感情で、監督のこだわりとフェチを感じましたがいかがでしょうか。
---
20代若手官僚編。個人的にも性別、年齢が近いこともあり一番シンパシーを覚えながら見ることができた時間軸だ。
主人公の鷹野というのは徐々に明らかになるが中学時代のいじめをトラウマとしてもっており、それから逃れるためにも官僚として華々しいキャリアをつかんでいる25歳の青年だ。しかし過去のトラウマに追いかけ続けた彼の精神はもう限界を迎えていた。そして彼は、とある同い年の青年の自死について独自に調べを進めていく。
このエピソードの中ではやはり名シーンと言えば、中学時代の学級院長の母親との場面だろう。先にも呪いの言葉という表現を使った、ここでも呪いの言葉は出てくる。それが鷹野がかつての自分の行いを詫び、許されたいために訪れたのだと母親が見抜いたあとのセリフだ。
「忘れずに、あなたは生きるの」
「隼介にかわって、あなたは結婚して、子供を授かって、その子を宝物みたいに育てて、命がけで守りなさい」
子をうしなった母親は「忘れるな、一生背負って生きていけ」という。それは非難ではなく、鷹野がちゃんと自分の人生を歩めるように絞り出した魂からの言葉だろう。呪いともいえるほどの強度で鷹野の人生に打ち込んだ軸だ。鷹野のこれからの未来をさししめす言葉にもなるのだろう。「のろい」と「まじない」が同じ漢字であらわされるように。
この言葉を受け取り鷹野編の最終場面では、返すことができなかった教科書を見つめ、ようやくボロボロと涙を流すことができたという帰結が描かれる。子供のように背中をまるめ、情けないほどに感情をあらわにするその姿こそが、この物語で鷹野という男がつかんだ贖罪の煉獄だ。
「自死」というテーマは原作著者の来歴からしても避けては通れない。
この作品で特にこの要素が強く表現されたのが20代のこの官僚編だった。
この映画は自死を非難もせず、賛美もしない。ひとりの人間が自分の意志でえらんだ人生の終着について、我々は「なぜ自死を選んだのだろう」と原因を探ろうとしがちだが、それも推測に過ぎない。感情を揺さぶられ、ときに引きずり込まれそうになる「残された人々」のドラマを描いていく。
謎は謎のまま。
25歳に命を絶った彼の、まさにその死の間際どんな人間でなにを考えていたのか、その追及ができる要素は極力省かれている。物語の中でぽっかりと空いた穴のようにその謎はつねに横たわっていて、それが非常にリアルな距離感を感じるのだ。
鷹野に関してはこちらのインタビューも、ひも解くヒントになる。
語られている、「扉の前で泣く」というシーンは中学時代編の「お前が全部悪いんだ!」の叫びとの対比なのかと思ってるんですが、どうだろう・・・。
---
最後、中学生編だ。
いじめの描写も生々しくて目をそむけたくなる痛ましさがある。同時に同級生の女子・天野とのほほえましい交流も、エモーショナルなセリフと演出がさく裂しまくるクライマックスも、本作なかでも特にドラマチックに描かれているフェイズでもある。
このエピソードだけで見るならば、甘酸っぱい青春模様として楽しめるはず。しかし観客はすでに識っているのだ。この主人公の彼が、中学時代のいじめから立ち直ることができず、25歳でこの世を去ってしまう事を。
その未来を知ったうえで見るこの映画のラストシーンは本当に絶品だった。美しさとやるせなさがいっぱいになる中で風景が遠ざかり、主題歌「紙飛行機」がやさしくはじまる。泣いちゃったな・・・(28歳/おとこのこ)
クラスメートの天野さんがめちゃめちゃピュアな存在感を発揮していて目が離せなかった。苦しい場面で彼女がでてくるとホッとするし。木下渓さんという女優さんらしい。トークイベントで実際に見たけど役を意識して水色のワンピースを着てきていたり非常に好印象だった。かわいいしな(台無し)
「なぜ・・・なぜあの美しい中学時代を経ても人生は重く苦しいのだろう・・・」という感覚にズッシリととらわれてしまうのだけれど、まぁ思い出は美しくあり続けることがその存在意義なので。
翠が出産を決めたとき、この中学時代の記憶が影響を及ぼしていることは確かで、そういう意味で生命がつながれていくことの意義を深く感じることもできた。
単独でも美しい話が、映画の中での他2編を踏まえるとさらに違う見え方になる、そういう演出が一番効果的に響いていたエピソードでしたね。
負の場面でいうなら「お前なんて助けるんじゃなかった」のシーンもとても印象深い。
---
歌集とパンフ。
サイズも一緒だし、カバーの加工もたぶん一緒。よこに並べることを想定してると思う。しかしパンフのデザインがこれでは片方が海外にいくことに離れ離れになるカップリングのシリアス二次創作同人誌みたいだな・・・????
パンフレットの中で脚本の桑村さんが言及していたののを引用すると、
>私は10年以上前に友人が自死してまして。そのときは、自殺するなんて間違っているって思ったんですけど、あることをきっかけに果たして本当にそうなのか、自分で自分の命を絶つほどに追い詰められた人を死んでなお否定することで誰かを傷つけているんじゃないかという考えにいたって(’パンフレット P.23)
この部分ってすごくこの作品の根幹をなしている感覚だよなぁ。
個人的にこの作品のなにが気に入ったかというと、死の質感なんだと思う。近年「自殺」と「自死」の違いなどもときたま論じられたりするけれど、そういった感覚をキャッチしたいのは自分の中にも欲求としてあって、この映画はうまくその輪郭を見せてくれた気がする。
幸いにして自分の身の回りにそういった悲しい出来事はないけれど、報道される自殺者の人数推移とか見ると、とたんに何か途方もない感覚になったりするじゃないですか。でも電車が接触事故で遅延したりするとその裏をあまり考えないようにしつつも「なんでいまやるんだよ」とか言ってしまうじゃないですか。少なくとも自分は。
まぁありふれた感覚ですけど、死と向き合うとき我々は正気ではいられない。この映画を見終えた後、きっと多くの観客が気持ちを置き場所を探すことになる。そしてその作業は現実に自分たちの身近に死が降りかかってきたときのシミュレーションになる。
いくつかインタビュー記事を貼りますが、どれも映画の内容をよく救い上げたいいインタビューだと思います。
それとたまたま参加できたトークイベントの内容なんかはこちらに記事がでていたので貼っておきます。
トークイベントは30分ほどで、主題歌を歌ったSano ibukiさんが登壇したこともありこのMVの話もおおく触れられていた。こちらも、だれかの存在が時間を輝かせ、そしてどうしようもなく孤独でもあることを表現した見事な映像だと思う。
こちらの歌詞にも、歌集へのリスペクトを感じるようなワード選びがされている。「あなたの読みかけの人生の栞となれたことを」とか。
「紙飛行機」というタイトルも素晴らしいと思う。大きくとおく羽ばたくためには誰かの手を離れる。どうしようもなくひとりで、かよわい紙の羽で風を掴んで。そうしてどこまでいけるのだろう。
映画の内容ともうつくしく響き合っている。
-----------------------------
続いてざっくりと歌集「滑走路」について。
読んだのはけっこう前なんですがブログ内で触れていなかったので、このタイミングで。
この記事の最初にも書きましたが、内容はさておき、文体としてはめちゃめちゃ読みやすくてキャッチー。口語体が主だし、意味をめちゃめちゃ重ねたりテクニカルな技法繰り出したり実験的な現代短歌というわけでもなく、非常に素直な文体なのもベストセラーになった理由のひとつだと思う。(もちろん、深みがないというわけではなく、取っかかりやすいという意味で)
映画との関係性については、うまく映画が作品内に短歌を落とし込んだスタイルだ。改めて歌集を読みかえすと、作中いろんな場面で歌のエッセンスがいかされていたんだと再確認できる。
直接引用されていたような歌をざっと挙げると例えば歌集冒頭を飾る一首、
いろいろと書いてあるのだ 看護師のあなたの腕はメモ帳なのだ
これは官僚編で。
空だって泣きたいときもあるだろう葡萄のような大粒の雨
これは言うまでもなく、中学時代の美しき思い出の中で。
いま思いかえればあの図書館シーンが、どの場面から接続されたものだったか。空が泣くような大粒の雨が降るのは、映画的に必然だったのだ。
遠くからみてもあなたとわかるのはあなたがあなたしかいないから
母ちゃん・・・。
遠くにいるきみと握手をするように言葉と言葉交換したり
握手、あるいは手と手の距離について。
映画においてもかなり慎重に描かれていた「手と手」だが、歌集のなかにもそのまなざしは息づいている。
ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼たべる
頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく
これら牛丼シリーズはほかにもあり、著者の生活に「牛丼」が密接だったことがわかる。現代の食事のあのシステマチックな感覚がよく出てるワードだと思うのだよな。「食べる」の一連の歌は、すごく素直に現代の食の完成が出ている気がして、これがあと10年後20年後にはもしかしたら別の食べ物がこの空気感を担うアイテムに変わっているかも知れない。
などなど。
ざっと映画内で拾われた歌を挙げるだけでもなんとなくこの歌集の雰囲気がつかめると思う。美しい青春の日々に、もがきながら生き延びようとする今に、つよくつよく感情が載せられていく。素直な語り口もあれば、まるで心閉ざすように情景を見つめるのみのものもある。
自らを鼓舞するような熱いメッセージがあふれだし、それは日々を戦い抜くためであったり、自己表現としての歌づくりについてだったり、とにもかくにも、歌から著者の生命力のほとばしりを感じる。素直な語り口がそれを加速させている。
萩原さんはこの歌集を完成させたあと、出版を待たずして旅立った。
歌から感じられる熱い生命力からはちょっと信じられないが、それでもその現実こそがこの歌集の存在感やメッセージ性を圧倒的に補強してしまった。
「歌集をこんな事言ってても死ぬことを選んでしまうんだ」という虚脱感が、全く無いわけではない。素直な感覚として。
でも、この歌集ではたびたび歌について「きみ」に「社会」に認めてもらうための手段であると、歌われてきた。
挫けそうな心をなぐりつけるような勢いで自らを鼓舞した言葉。
耐え難い苦しみのなかしばしの癒やしと救いをもたらした、かつての思い出。
恥ずかしいほどまっすぐな恋心。
それらはすべて歌という、彼がとびきり輝ける世界で、彼が練りに練って磨き上げた魂からの言葉だ。泥まみれで血反吐はきながらでも「こうありたい」を追求した凄みと情熱を感じる歌たちだと改めて思う。
最後に個人的に好きな歌を紹介。
かっこよくなりたい きみに愛されるようになりたい だから歌詠む
いつか手が触れると信じつつ いつも眼が捉えたる光源のあり
とても素直なんだけれど、遠く遠くをみつめるような黄昏感を感じさせる、本当にピュアな歌だと思う。
自分は短歌にハマって日は浅いのだけれど、この「滑走路」は入門としても読みやすいし、歌に感情をいかに託すかを突きつけられることで一層、言葉を味わい愛せるような、豊かな感覚を与えてくれる本だなと、思う。
タイトルがそもそも、飛翔する「飛行機」でも、操縦する「パイロット」でもなく、場としての「滑走路」と付けられていることの俯瞰性。そこにもメッセージ性を感じる。フェンス越しにただ滑走路を眺めているような遠さもあるし、飛び立ちたいという願いも強く感じる。
いい本です。そしていい映画です。
生と死を取り扱う作品は数あれど、詩を落とし込んでいく手法はなかなかに味わい深かった。感動できるうえにトリッキーで、まぁ救いがないといえばないんだけど、まちがいなく心に痕をのこしていく作品。痕跡をのこされたくて、音楽も漫画も映画も、物語というものを渡り歩いているという感覚があるので、素晴らしい出会いでした。