感想書くことがちょっとこわくて書けずにいましたが、書き進めることで自分も整理がつくだろうか。と、今更ながらに最終巻の感想を書き進めてみる。 ふだんの紹介的な更新ではなく、完全な独り言を独りごちる。最終巻までと、いくつかインタビューも踏まえての雑感です。
恋愛を描けない悩みに新作で向き合う/『あげくの果てのカノン』米代恭インタビュー(1)
「気持ちの悪い恋愛」を全力でしてもいいじゃないか! 『あげくの果てのカノン』米代恭インタビュー
「なんで私がメンタルの世話をしないといけないの」 不倫×SFマンガ『あげくの果てのカノン』作者と担当編集の奇妙な関係 (1/3)
話の過程でネタバレを含みますのでご注意を。
・・・ひでェ話だったなオイ!
いや、いいんですけど。
最後まで大好きな作品であり続けてくれました。不倫という難しいテーマをきちんと描ききった。インタビューとか読んでも、非常に苦悩の多い作品であったことは伺い知れます。
でも考え込んでしまうこともあるので書く。
呪いは解けなかったのだ。最悪の形で周囲を巻き込み、犠牲も払って、様々なものを切り捨てて、それでも真っ当な人生を歩めなかった。いや、そもそも真っ当とは、なんだろうかと。幸せであることと正しいことはイコールではなく、むしろ世間から爪弾きにされる恋愛をするしかなかった主人公だからこそ掴み取った結論。 かのん自身幾度となく涙を流し自問自答し、それなのに変わることは出来なかった。 離れて過ごした長い年月でも彼女の盲信的で依存的な体質は変わらなかった。
対象が人からケーキにかわり、仕事に出来たというところがおおきく異なるが人となりは変わらない。 それなのに最後で先輩が会いに来た途端に、コレだ。 本作はかのんの成長物語なのではなく、そんな生易しいものではなく、こうするしか生きることが出来ない強烈な恋愛依存体質の女性の人生を描いた。彼女の業はきちんと示されたし、幸せになるための別の道も拓けていた。 それでもこの結論を選んだのだから 、凄い。 凄いというかそれでこそかのんだ。個人の感想として、 かのんという物語はこうでなきゃ、と嬉しさがあった。 ただ物語としてこのラストを疑問に思うのは仕方ないし、もし落胆されたとしても納得だ。それくらい「やっぱりか」という感覚が強い。
――結婚についてはともかく、結局、米代さんは「不倫」のことはどう思っていますか? 米代:けじめをつければ好きにしたらいいんじゃない?と思っていますね。 ――「けじめ」ですか。 米代:結婚までしている人間との恋愛は、他者の尊厳を傷つけることだとは思っていて、それをするからにはけじめが必要だと私は感じます。でも、その尊厳を傷つけて、かつけじめをつけてまでやりたいのなら、外野が止めることではないのかなと。
そもそも善悪で語れる話ではない。そんなことわかっているハズなのに、どうか間違えないでほしい、世間から認められるような幸せを掴んでほしいと勝手に願ってしまうもんだから道を外してしまう。別にこの作品を読んで、不倫は是か非かを語りたいわけではない。でもどうしても引っかかってしまってキーボードを打ち込んでしまっている。
こんなに自分が動揺してしまった理由を探してみる。ストーリーに衝撃を受けたわけでもないし、あのラストもまぁ、かのんが出した結論ということに納得はある。
けれどきっとかのんは、もう大丈夫だと思いこんでいたのだ。第28話のクライマックスでモニターにうつる2人を、まるでヒーローショーの観客席に座る無垢な子供のように、大声で声援を送る姿をみて「ああ、よかった」と思ってしまった。本当の主人公はあのひとなんだって、自分は彼らの物語の障害でしかないことに気づいて、それでもまっすぐに彼らを見ることができたのだ。
終わらせることができたんだって、簡単に騙されてしまっていたのだ。
作者の手の内でみごとに転がされたわけですが・・・、本当に、心底良かったと思えたんだ。失恋できてよかった。そうだよな、そういうもんだよなって、報われなくて正解だって、それで良かったはずだと疑いようもなく感じていた。不倫だって当人たちが納得の上ならたとえ破滅に向かおうとも選択としては十分にアリだと口では言っておきながら、失恋に涙するかのんに安心していた。とんだ裏切りだ。
かのんというキャラクタをとても好きだったけれど、理解しきれていなかった。まるで分かっていなかった。そのことに対する自分への落胆のような気持ちに近いのだと思う。ショックだった。
同時に、かのんは死んでしまったんだなと思った。進化もないというか、きっと死ぬまで彼女は彼女のまま生きていけるだろうと彼女の強さを信じることができたから。生きていても死んでいてももはや彼女は変わりない。死んでいく物語。ネクロシス。誰も彼女の幸福を否定できない。
置き去りにされたようだ。
ちょうど、この最終巻の拍子はただ静かに佇む傘だ。思えば1巻から4巻まで、カバーイラストに描かれたかのんは合羽を羽織っていた。本作は第一話の「この街は、ずっと”雨”が降っている。」というモノローグで幕が上がる。ひとつこの作品のキーワードを上げるならそれは雨だろう。あの日、あの教室で、先輩がカノンを弾いていた。それに始まり常に大切なシーンでかのんの人生に雨は登場する。合羽は彼女の天候的な日常でもあるし、化物という驚異から身を守る一般人としての彼女の姿にも重なるし、あるいは不倫というタブーを犯してでも雨道を進もうという意思にも・・・強引か。でも、最終巻では雨はあがり、舞い上がった傘は祝福のひかりに照らされ花畑に佇む。役目を終えたように。いや、最初から一回だって使われてない傘だったが。雨は止んだ。止んだのだから。
「かのん」という名前を彼女は恥じてコンプレックスだった。先輩はそれに意味や尊さをもたせてくれた神様だ。恋と錯覚した信仰心だったなんて彼女は気づいていたし最終話で再確認もされる。「私は私のストーリーの悪役だった」なんてあまりにも虚しい真実を直視する。
物語の終着点。最果て。そこに至ってもやはり彼女はいつまでも自分自身に呪われ続ける。呪われ続けて、幸せに居続ける。彼女の人生は光る。それならいいんだよ。物語の果て、いや彼女の人生のその最期にまで響き続けているのかも知れない。自分と同じ名前の、繰り返しのクラシック音楽。果ての果てまで、その音楽は鳴り止まない。この読後感の不気味さ、なのに心の心配がぜんぶほどけていく決着の妙技。素晴らしい。けっきょく物語は倫理で語ろうとするものではなく、キャラクターが己の思考に確信を持って未来を選び取ってくれたのなら、他の問題なんて些細なもんですよ。いろんな人を裏切ってしまった。取り返しのつかない人生の失敗もした。差し出された手を振りほどいてわがままを貫いた。先輩以外を排除して、自分さえも切り捨ててもなお恋は続く。それでいい。そうすることができた彼女がひどく眩しい。きっと自分にはない強さをいくつもいくつも無限に無数に手にして幸せそうな彼女の、恋に浮かれた、年甲斐もない、ぶざまな姿に俺は恋をする。それはきっと俺には彼女がわからないままだからだ。自分にちかい部分と、どうしようもなくかけ離れた精神構造のかのんがたまらなく好きで好きで遠い。
終わりますね。 壊死(don't look back)みたいなタイトルにしてたけどクソダサで公開直前に照れに負けた。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=EjM7Trs3aB4&w=560&h=315]
一生の恋を確信する瞬間、そして誰かを裏切る。『あげくの果てのカノン』2巻
いやーそれにしても、担当編集さんを思いうかべながら友人との関係が完全崩壊するネームを切ったというエピソード、最高すぎないですか?