「正直どうでもいい?」

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血と血と血と血と血と血と血ときみがふれた光『ハピネス』10巻(完結)

ハピネス(10) (講談社コミックス)
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『ハピネス』最終巻です。 黒基調で9巻まで来たコミックスの白も、最終巻は白くなりました(背の部分) 完結ということで改めて1巻のオビを見てみましょう。

 

ハピネス101

鮮血のダークヒーロー奇譚!!

 

うん。最初こそそんな感じでしたけど、後半なんかは完全にカルトホラー漫画と化していましたね! というかカルト宗教編がめちゃくちゃ長い上に「少年誌でやるか?」っていう陰湿なエログロの嵐にちょっと精神参りそうでした。

 

けど、いい作品だったな。 終わりだけ見てしまえば、そりゃそうだと納得せざるを得ないややビターな味わい。けれど毎話ドキドキとさせてくれる、しっかりと内面描写とストーリー描写を濃厚に両立させながらエンディングにたどり着いてくれた。 たったひとりのレイトショーを見終えたような、充実感と孤独感。 深みのある読後感を与えてくれる作品となりました。

 

正直書きたいことは直接的にネタバレに関係することばかりなので これから読む予定な人は下記戯言は読まない方がいいかと思います。 ネタバレ全開になってしまうので。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・さて。いや俺はもう五所さんのことしか書くつもりがありませんが・・・。

ビジュアル的にも◎、フランクでいて陰があって「っす」って語尾につけちゃうイモっぽい娘がドストライクな娘がメインヒロインを張る貴重すぎる作品ではあったんですがいかんせん押見修造作品だし、しかも物語も吸血鬼と人間の共存なんて無理にきまってるじゃんってお話なわけで、けして王道のハッピーエンドを迎えられるなんて思ってはいなかったですよ。 むしろ結末を読んだら、物語としては本当に大切に描かれていることを実感できた。最後まで絆を感じさせてくれる。病院の窓ごしに視線を交わす場面では素でゾクゾクと感動で震えてしまった。 けど野暮ではありますが改めて言いたいのですが、

さすがに五所さんかわいそすぎるだろ・・・

こんな!こんな痛めつけるのほんとやめて!ってなっちゃったな・・・正直。 もう下半身もめちゃくちゃに犯される、乳○切り落とされるわで最悪オブ最悪ですよ。 しかもそれが長い長い。カルト宗教施設潜入~幽閉~陵辱~吸血鬼になりたい狂信者らのエサにされそう、っていうピンチの流れがね、なげえ。7巻から10巻前半くらいまでずっとボコられ呻くだけの五所さん。勘弁してくれ~押見修造~!!!! おれは甘かった。押見作品でキャラ萌えなんか発揮しても報われっこないのに・・・「悪の華」で懲りずにまた俺はおなじ過ちを・・・何度繰り返せばいいんだこんなこと・・・

でもエピローグで幸せそうな彼女が見れて本当にホッとしました。 いいか。乳首がなくても育児はできる。母乳育児とかって話題はツイッタランドであんまり首突っ込みたくない面倒トピックですが、漫画にフィードバックすると案外興味深い。

五所雪子にとってのヒーローは誠だった。 同じ速度で歩めなくても、同じ場所で生きていけなくても。 そして彼女はもうひとりのヒーローと結ばれるんだよな。 なんの力もない、何の変哲もない、それなのに無我夢中で助けに来てくれた無力な人間に、彼女は人生をかけて救われていく。普通の幸せを手に入れていく。過去の呪縛から解き放たれていく。

 

ハピネス102

 

呪縛から解き放たれるような、ふたりの心象風景。 淡いタッチがエモすぎる&エロすぎる。

 

 

おおくの吸血鬼が直面してきたであろう、人間とモト人間の悲しい終わりの数々。 それらを思えば、誠と五所さんは限りなく幸せに良好な関係を保つことができた、稀有な例なのではないだろうか。 もちろんその過程にはただ事ではない悲劇があることを、我々は身にしみて知っている(特に6巻以降の悲痛な展開の数々によって)。だからこそ10巻のエピローグにて描かれていく、人々や街の光景にいくつか彼女の幸福な生活の断片に、震えるほど感動してしまう。 後述するが吸血鬼の悲哀というテーマと折り重なるように、五所雪子というひとりの人間が辿ったストーリーに宿る重厚なドラマがこの「ハピネス」という作品の魅力を決定的にしている。

 

 

吸血が背負う悲哀について。 吸血鬼は、街や歴史の陰に隠れながら、姿かたちを変えないまま闇にいきていく。 エピローグはとくに時間の経過速度が上がっていき、人々にガンガン変化が訪れていく。そして変わらない、いや変わることのできない吸血鬼という生き様の悲しみがより浮き彫りになっていく。 それは「永遠」という言葉に宿るどこか漠然とした憧れやきらきらしたイメージとは程遠い、 ただただ置き去りにされ、孤独に佇むしかない彼らの哀れな姿だ。 圧倒的な身体能力と生命力を持ってしても、けっきょく誰かの血を啜り、陰に潜んでいきていくしかない。依存しきった弱者。

この作品は結局のところ、彼ら吸血鬼という存在について非常に冷静に冷酷に描写を貫いてきたと感じる。ヒーローなんかじゃない。孤独で哀れだ。社会から阻害された弱者としての存在感のほうが色濃い。 ときに人間を蹂躙するほどの力を持っていても、物語後半でおおくの吸血鬼が人間の組織力・科学力に為す術なく屈服した。パーツごとに肉体を分解され培養液漬けにされるというバラバラリビングデッド状態にもなった。 それでいて、恐れられ、誰からも受け入れられず、飢えの苦しみにいつまでも支配されながら生きながらえていくしかない。 しかし終わりが無いかと思われていた吸血鬼にも死が訪れる場面があった。 第46話。とある重要なキャラクターである吸血鬼が死ぬ。 肉体を食われ、そしてその食った母体が死んだ時、ついに吸血鬼はしんだのだ。

「死ねるんだ・・・オレ・・・」

ひどく穏やかな表情。 まるで人間だったころの穏やかな感情を取り戻したかのような。

死ぬことを喜ぶ吸血鬼の姿はとても印象的だ。 吸血鬼たちすらも「生」にしがみつくしかない。生命や永遠を超越した存在なんかじゃない。ある種、矛盾した弱さを抱えているのだいうことを突きつけられた。 たしかにダークヒーロー的な描かれ方もされていたのだけれど、だんだんと後半に向かうにつれて吸血鬼の負の側面、弱さやくだらない生き様、疎外感や生きることの苦しみ、そういった要素もかなり描かれてきたんだな。

巻末にある著者あとがきの中で、「死と病」「疎外」といったキーワードを出していたけれど、間違いなくそういったメッセージが描写に詰め込まれていたように思います。痛々しいほど、ヒステリックな絶叫のなかに、いろんな思いが乗せられている。

 

 

ラスボス的な立ち位置だった桜根という男のドラマも、猛烈な痛みを伴い印象深いものだった。どこまでいっても理解できない、底知れないおぞましさ。と同時にどこかその孤独なありかたについては共感してしまうような、あやういバランスで成り立ってた。 にしても結構ストレートに現実世界の事件をモチーフにしていましたね。明らかに酒鬼薔薇事件だったし、カルト宗教関連はよくわからないけど、狂気の果てに集団自殺をして壊滅するのはジョーンズタウンでしょう。「あっこれ哲学ニュースで読んだヤツだ!」ってなっちゃったもんな。オカルト進研ゼミかよ。 ただそういう現実世界を脅かした事件がもつリアリティが本作にもかなり意地悪く効果的に作用して、何度もいうように6巻以降の展開はかなりホラーサスペンステイストが強めで「ダークヒーロー奇譚はどこいったんだよ!!!」ってキレ散らかしてしまった。 桜根についてはストレートにやべーやつなんですけど、いつまでたっても妹や家族に執着してしまう幼さや哀れさのようなものもあり、やっぱり一筋縄ではいかない。でも彼は特殊な方向に個性出てしまっただけで、誰しもが大なり小なりだれかと違うところがあるはず。優れていても、劣っていても、社会の倫理に反していても、偉大な功績を残しても、背中合わせのように人間は「そっち側」にいく可能性を秘めているわけであり・・・。

 

 

 

それでラストシーンですが、ここまで果てしない未来までいくとはちょっとびっくり。 アダムとイヴってことでしょうか。それにしても、やっぱりどこかスッキリとしない不穏な終わり方だ。まぁ押見修造先生はだいたいこんな感じか。 個人的には、行き着くところまで全部見せてくれたような気分で満足感はありました。 無情だ。ただただ寂しく、かなしい。 けれどどこか美しく、甘やかな破滅。

 

この作品に「ハピネス」とつけられた意味。わりとわからん。 わからないなりに、「ハピネスっていう物語です」って手渡されたとき、ああそうなんだ、そうだったんだって納得してしまえるような心地。「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」銀河鉄道の夜の一節を思い出してみたりする。 そういえば、この作品も空を見上げることがひとつテーマになっていたな。 渦を巻く毒々しい夜空に吐き気を催すときもあった。 けれどラストシーン、彼らを待っていたのはすべてを滅びを見守り輝く、満点の星空だった。 彼らの歩みのさきに、人類の歴史の続きはあるのだろうか。

全10巻。でもかなりサクサク読めると思います。 1本の映画を見るような気持ちで、2,3時間、この作品に委ねてはいかがでしょうか。 血みどろの絶叫のなかに光る、なにかを見つけられるのでは。

 

死んでいく ふたりきりで、ふたりしかいない世界で、死んだ世界でぼくら