「正直どうでもいい?」

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ぼくとスピッツ、というような話(30周年に寄せて①)

 

スピッツが今年でデビュー30周年です。

 


それを記念した新曲。どこをどう聞いてもスピッツだ。スピッツはいつだって100点なのだ。いつでも聞けて、いつでも染み込んでくるのがスピッツだと思う。


今年2021はデビューから30周年。
ベスト盤とかが出たのが2017年、結成30周年のときで、個人的に語るタイミングを逃してしまった。
せっかくなので今年は「ぼくとスピッツ的な記事でも書いて、自分なりにスピッツの30年のことを振り返ってみようと思う。

といっても自分は1992年生まれの29歳なのでデビュー時まだ生まれてなかったわけだが。30年音楽をやってるってメチャクチャすごいな。

30周年ということで、いろんな媒体でもスピッツを改めて語られているのを見かける。そういうのを摂取することで、自分語りへと向かう勇気を持つことができた。

 

 

 

 

 

原初の記憶をたどれば、ロビンソンとか空も飛べるはずとかチェリーは当時幼稚園児とかだった自分の脳みそにもメロディが残っていた。しかしスピッツというミュージシャンとして認識はしてなかったので、出会いはもっと先になる。

たぶん最初は「遥か」だったと思う。

 

 

サビの部分だけ聞いて「なんていい声なんだ」「スピッツっていう人が歌ってるのか?」と興味を持ったのをなんとなく覚えている。

当時、アニメのデュエルマスターズを見る為に登校前は「おはスタ」を見ていた。たしかその音楽紹介コーナーで流れたんだと思う。記憶がおぼろげだが、当時の自分のあらゆる情報源は「おはスタ」だったからたぶん間違いない。「週刊プレイボーイ」におじさんが欲しいすべての情報が詰まっているように、「おはスタ」にはキッズが欲しい情報全部ある。(そうか?)

 

ともかくこの「遥か」のサビですよ。この果てしない遠くまで連れて行ってくれそうな神秘的な響き。今聞いてもめちゃくちゃ気持ちいいんだが、当時こんな音楽は聴いたことないぞと、びっくりした。ただCDを買うという発想はなかった。

 

中学に上がると学校の授業もPCに触れたし、家では父親が使うPCを夕方つかうことができた。そのころスピッツは「スターゲイザー」でまた注目を集めたころだったかと思う。やっぱ当時の「あいのり」はすごかったよ。見てなかったけど・・・。

 

PCに触りだした中学生は「おもしろフラッシュ倉庫」に入り浸ることになる。後から聞いても同年代共通のムーブメントだった。俺はフラッシュ倉庫で見た「はげの歌」を覚えて友人と休み時間に歌ったりした。ニコニコ動画はまだなかった。

フラッシュ倉庫には歌に映像を付けたオリジナルMVのような作品もたくさん見ることができた。そこで「空も飛べるはず」のフラッシュを見てめちゃくちゃ感動したのだ。いま探しても権利問題的に動画サイトからは削除されてるし、作者さんの元サイトも見つからないのでここで紹介は出来ないが・・・

ちょうどこの「風になる」のフラッシュと同じ作者さんだった。このテイストの絵を見て思い出す人はいるんじゃないだろうか。

 

 

このフラッシュで「聞いたことのあるあの曲はスピッツの曲だったのか!」と発見があり、スピッツのベスト盤「リサイクル」を中古で買った。

フラッシュという二次創作から曲を聴いて、中古でCDを買う、しかも例のいわくつきのベスト盤。とことんスピッツに顔向けできないムーブをかましている中学生だな。

この歌ものフラッシュからBUMP OF CHIKENの「K」を知ってCDを買いに行った。自分の音楽的趣味にめちゃくちゃ強い影響をあたえているなフラッシュ倉庫・・・。

 

ベスト盤「リサイクル」はめちゃくちゃいいCDだった。多分だけどこれまでの人生で1番CDプレイヤーでかけたCDだと思う。今となっては、心情的にそんなに再生することはないけれど。

ここで一気にスピッツにはまって、もっといろんな曲を聴くためにアルバムをゆっくりと集めだした。1st「スピッツ」から当時の最新アルバム「スーベニア」までをコンプリートしたくらいのときにニューアルバム「さざなみCD」の発売が告知される。

本当にたんなるシャレに過ぎないが、自分のハンドルネーム「漣」をスピッツとがつながったことでメチャクチャテンションが上がったんだよな。普通にアルバムとしても良盤だと思う。

 

それ以降はリアルタイムでスピッツを追いかけていくことになる。

勉強しながらでも、通学中にでも、とにかくBGMはスピッツのことが多かった。ラノベでも漫画でもなんにでもイメージソングを考えるいっぱしのイメソン厨となっていた俺はひたすらスピッツを聞きながら別の物語の味わい方をあれこれ探していたりした。

切ない夏の物語には「夏の魔物」を、えっちな物語には「プール」を十八番としてイメソン展開をしていった。悲恋の幼馴染には「仲良し」を、スペーシーなSFには「ババロア」を、堕落した日々には「猫になりたい」を、刹那的な一夜には「夜を駆ける」を、遠く離れたきみには「流れ星」を、ノスタルジーにたっぷりをひたした「愛のことば」を、正夢とおもいたいような美しい場面に「正夢」を、感動のエンディングに「夕陽が笑う、君も笑う」を。

自転車をこぎながら爆音で聞く「バニーガール」「スパイダー」は最高だし、憂鬱な日曜夜に聴く「あわ」「大宮サンセット」は心をやわらげてくれたし、嫌なことがあったら「みそか」「ワタリ」を聞いた。好きなキャラクターの顔や後ろ姿を思い浮かべながら聞く「ロビンソン」や「運命の人」や「フェイクファー」は自然と泣けた。

そんなことになったのはアニメ版の「ハチミツとクローバー」の影響が大きいと思う。このアニメからスガシカオを聞くようになったし、スピッツの曲も贅沢に使用されていた。特に印象的だったのは「魚」「夜を駆ける」「スピカ」といった第一期での使われ方だろうか。あのアニメのせいでなんにでもBGMを付けて遊ぶくせがついてしまったな・・・。「魔法のコトバ」が映画に使われたのもうれしかった。

 

 

閑話休題

正直なところ、すこし距離を置いた時期もある。

アルバム「とげまる」が当時あんまりピンときていなかった。「シロクマ」「恋する凡人」など大好きな曲も多いが、アルバムとしてはいまだにあまり聞き返さない。

でもその後に発売された「おるたな」でスピッツ最高論者に戻り、「小さな生き物」以降、すこし違うモードに入ったスピッツを2021年に至るまで好きでい続けている。

少し違うモードというのはやはり3.11の大震災の影響だと思う。それとは直接言及することはないが、明らかに「とげまる」と「小さな生き物」のはざまで空気が変わってきていると感じる。その後の「醒めない」なんかはキャリア全体を見渡しても相当上位に食い込むほどに好きだ。

 最新作「見っけ」も細部に新しいスピッツが感じられて、まだまだ進化を止めない姿勢が感じられて本当に嬉しい。

 

スピッツの魅力を改めて考えてみると、こんなにひねくれたマイノリティの世界を映すアーティスティックな活動をしながらも普遍性、大衆性を獲得した稀有なバランス感覚というところが大きいと感じる。

「なんかよくわかんない歌詞だけど、たぶんいい感じのことを言ってる~」と脳みそが錯覚を起こす、草野マサムネの天才的な作曲と歌声。気持ち良い一体感のバンドサウンド

 

スピッツファンは往々にして「パブリックイメージとしてのスピッツ」と「ロックバンドあるいはパンクバンドとしてのスピッツ」のギャップを語りたがってしまうんだが、チェリーを楽しくうたってる人に横から「スピッツのテーマは死のセックスなんですよ、ご存知ですか?」などとのたまってたらそれはもう危ない人なので我々も大人として堪えている。

その時代ごとにエヴァーグリーンな名曲を生み出してきた「国民的なミュージシャン」であることも、しれーっと優しいサウンドのヒット曲に恐ろしいフレーズを忍ばせてくることも、きっと多くの人が知っているところだと思う。

大御所バンドであるにも関わらず、不思議と親近感を抱くような立ち位置にいる不思議なバンドだ。妄想癖に少年の戯言のような歌詞を歌い続けているからなのかもしれないな。お硬いことを言わず、メッセージを力強く表明するようなこともなく、イデオロギーを感じさせるような振る舞いもない。それがイコール「だから素晴らしい」という話じゃない。極個人的だったりミニマルな箱庭的な世界観の中で綴られる歓び、孤独、別離、君とのおぼろげな距離や妄想じみた言葉遊び。スケールなんか全然デカくない。そういう控えめにけれど楽しげに音楽を奏で続ける姿勢が、スピッツらしさだと思う。

こんなに長期間第一線にいるバンドなのに偉大な大物バンドって感じじゃなくて「俺だけのスピッツ」みたいなのをずっと大事に抱きしめてしまうんだよな。すっげぇ話が合う中学時代の友人みたいな感じ。スピッツを聞くときおれは中学生。

 

自分語りと絡めたスピッツ語り、いくらでもできそうなんだがひとまず気持ちは落ち着いたのでここらへんで終わります。

 

この記事を書くついでにスピッツのこれまでのアルバムぜんぶ聞き直したので、全作レビュー記事も書きました。それは②で。