「正直どうでもいい?」

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切れやすい糸でむすんでおきましょう『笹井宏之歌集 えーえんとくちから』

 

 

個人的に短歌の入り口になった一冊。発売日わりとすぐに買って、1年以上なんども反芻しつつ読んでいます。

挫・人間の下川リヲのツイッターから「花は泡、そこにいたって会いたいよ」を買う→ 「ねむらない樹」Vol.1巻頭の穂村弘さんの寄稿を読んで「そういう味わい方があるのか」「そんな読み筋があるのか」とメチャメチャつぼにハマる→ 「ねむらない樹」の元となった笹井さんの歌集を買ってみる→今に至る

個人的に好きな歌を挙げようにも、大量にありすぎて大変です。

 

 

風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける (133頁) ねむらないただ一本の樹となってあなたのワンピースに実を落とす (10頁)

この歌集に出てくる「あなた」が必ずしも人のかたちをしているとは思えない。

そういう意味でこの2首は特に好きだし、特別印象的に受け取っている。

愛おしい自然そのもの、あるいはこの世界をかたちづくる神様のような超次元の存在に向けた、ある種の祈りのようなのだ。そしてそんな不確かな存在に「あなた」も「私」も同化している。 そんな遥か彼方に向けた清らかな感情があまりにもキラキラと言葉にあらわれているもんだから、なんか無条件で心掴まれてしまうんだよな。

人ならざる存在にあえて託す人間らしさ、生物としての根幹、世界のかくれた仕組み。 そんな世界観だからこそ、これほどピュアのひとつひとつの言葉が輝いている。

さよならのこだまが消えてしまうころあなたのなかを落ちる海鳥 (140頁) 人間になれますように 廃駅のいたるところで雨、ひかりだす 今夜から月がふたつになるような気がしませんか 気がしませんか (44頁) ひだまりへおいた物語がひとつ始まるまえに死んでしまった (117頁) それはもう「またね」も聞こえないくらい雨降ってます ドア締まります (88頁) たっぷりと春を含んだ日溜まりであなたの夢と少し繋がる (124頁) ふわふわを、つかんだことのかなしみの あれはおそらくしあわせでした (25頁) 公園でひたすら脱臼しあってる恋人たちに降れよ 星とか (82頁) にぎりしめる手の、ほそい手の、ああひとがすべて子どもであった日の手の (144頁) 「とてつもないけしごむかすの洪水が来るぞ 愛が消されたらしい」 (120頁)

一気に10首。

「やさしさ」「さみしさ」「まぶしさ」みたいな気持ちや感覚だけがぷかぷかと浮かんでいるような感じ。「私」がいないんですよね。もちろん歌によっては存在しているんですが、1冊トータルとして意識が人間や自分自身に向いているとは感じづらい。

この世界にただよう自然の意思や、隠れされたルールに目を向けている。

人を描いているというより、気持ちや感覚を宿した風船がひとつ浮いていて、 時折その風船がだれかの手に握られていたり、空を漂っていたり、木の枝に引っかかっていたり、気が抜けて道路で汚れているだけだったりする。そんないくつもの風景が浮かぶ。 そこには他人も時間もなく、ただ世界の真理、あるいは神秘の感触だけがある。

この独特の着想というか、まとっている温度感が人間離れしている。

以前このブログでもちらっと書きましたが、笹井さんの歌は人間ではなく天上界の、神のお告げにちかい神聖な響きがある。ファンタジーなリリックを信じ込ませてくれるだけの、"真理に達した"感を醸し出している。いちどこの世界観に引きずり込まれると、1頁に31文字が62文字くらいしか書いてないシンプルなこの本に、4次元的な奥行きを感じてしまうのだ。

 

さて、この歌集の好きなポイントは他にもありまして。

飛躍の面白さ。これもゾクゾクくる接続がされていくので注目して読んでみたくなる。

えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい (5頁)

歌集のタイトルにも引用された一首。最初に読んだときの衝撃が凄い。巧妙な言葉遊び。 「えーえんとくちから」って最初なにを意味してるのかわからないんですよね。「えーん」と子供のような鳴き声が口から漏れ出てきている?

いやいや、種明かりは鮮やか。「永遠解く力」だったのです。呪文の解読。この飛躍があまりにもキマってる。しかも短歌のリズムに乗ってるかどうかも分かりづらかったのに最後にはズバンと直球にリズムに乗って心臓を指してくる。この切れ味よ。

 

食パンの耳をまんべんなくかじる 祈りとはそういうものだろう (15頁) 切らないでおいたたくあんくるしそう 本来の姿じゃないものね (45頁) 5月某日、ト音記号のなりをしてあなたにほどかれにゆきました (68頁) こころにも手や足がありねむるまえしずかに屈伸運動をする (107P) 一夜漬けされたあなたの世界史の中のみじかいみじかい私 (102頁)

とくに最後の「世界史」の一首は好きですね・・・この卑屈な感じがたまらなく愛おしくて切ない。

このあたりの飛躍は文学的な情緒と「なるほど感」がうまくミックスされていて小気味いい。たくあんの歌とかメチャメチャ面白い。たしかに切ってあるから「たくあん」と認識できるのだ。

「こころ」に手や足が生えている姿をイメージさせられる4首目はユーモラスなんですけど、日々の心の変化を「屈伸運動」と言い換えているのが面白い&かっこいい。

「ト音記号」の歌はおそらく風景としては5月に君が口笛や鼻歌を奏でているようなシーンだと思うんだけれど、それを分解してこんな歌にしてみせる。しかもこれは旋律がみずから「あなた」のもとへ向かっているという歌なのだ。 「あなた」へ手向ける思いの深さに、ここでもグッと来てしまう。

 

笹井さんはすでに故人の歌人。 難病に罹り、その症状もかなり過酷であったそうだ。そんな中でこんな美しい、祝福に彩られた歌を、世界の秘密を見せてくれた。

歌集としては非常に手を出しやすい700円くらい文庫サイズ。しかもベスト盤的な歌集となっている。ちくま文庫で出てくれたことも嬉しいなぁ。気になった人はぜひ読んでみてほしい。

これまで上げた、人ならざる「私」と「あなた」の歌以外にも、 母や祖母のことを歌ったものは、非常に素朴でやさしい目線になっているのも心安らぐ。

詩や句も収められているので短歌以外の表現で笹井さんがどんな模索を行っているのか、その一端を知ることができる貴重な資料でもある。

この浮遊感のある世界にひたりに、まだページをなんどもめくってしまうんだろうな。

 

 

 

切れやすい糸でむすんでおきましょう いつかくるさようならのために (22頁)