「正直どうでもいい?」

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防犯カメラは知らないだろう『千種創一歌集 砂丘律』

砂丘律
砂丘律
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千種創一 青磁社 (2015-12-10) 売り上げランキング: 61,428

 

最近読み終えた歌集の感想です。

 

転職した会社の研修中がめちゃめちゃ暇してて、スマホと着替えしかないくらいの状態だったのでヨシと思い外出。初めての街の初めての書店へ勢いで向かったら棚に刺さっていた。

もともとツイッターでこの歌集に入っているとある歌を見かけて以来、気になっていた本。

「こんな短歌を詠みたい人生だったな」千種創一さんの歌集『砂丘律』がかっこよくて泣ける

プレミアついてる本だという認識だったのでちょっとうれしくなって購入。奥付を見ると令和元年6月30日で4刷目。歌集で4刷目というのはなかなか凄いな。品薄も解消されたか。

本作は著者が中東在住ということでそこでの生活や政治的な混乱、そして戦果に日常がおかされていくさなかの緊張感ある歌も収められた歌集。

砂丘律

 

装丁もとてもおもしろいです。なに製本って言うんだろうこれは。 強度は問題ないんですが本の背にあたる部分がかなり荒い網目の生地になっていてかなり異様な見た目になります。本文もあえてザラリとしたグレーの強い紙が使われていて、独特の風合いを出しています。

 

 

 

さきに紹介したとおり中東エッセンスがふんだんに盛り込まれており、一冊通じてまるで旅行記を読んでいるような、知らない世界に連れて行ってくれるような感覚にさせてくれる歌集。 広場の人々、テレビニュース、カフェテラスの雑踏、戦況を報じる新聞・・・。

血なまぐさいシーンを描写した歌もあるが、語り口としては非常に写実的に、あるがままを素直に切り取っていくような感覚だ。まるでスナップを次々並べていくかのごとく、平穏も非日常も等しくシャッターを切っていく。

骨だった。駱駝の、だろうか。頂で楽器のように乾いていたな (135頁)

前後の歌をよむと、これは戦火から逃れるために必死に砂漠を進んでいるときの歌だと思う。生きるか死ぬかという圧倒的なリアルの中で、この歌の醸しだす静けさよ。 あえて歌としてのテンポ感を殺すことで、ただ呆然の目の前の骨を見つめているその悲しみであったり動揺であったりあるいは回りきらない思考のそのまま表現したかのような凄みを感じるのだ。

この歌集で個人的にポイントだと思うのが、過剰に感情を歌にのせないスタイルにあるのではと思う。描写される光景は非常に生々しいが、それを眺めている主人公の心模様は、さほど重要な要素として捉えられていない感覚がする。

巻末のあとがきで「事実ではなく真実を詠おうと努めた」と述べられているのはそういった視点のことだろうか。

巣のような第五ロータリー離れつつ月下、小声で思想をさらす(111頁)

偏見として中東や戦争というキーワードでやや警戒するところではあるがこの歌集で押し付けがましい思想がブチまけられていたりとは一切ない。むしろこんな歌も、遠い異国でだれかと価値観を晒しあえる、まるで秘密の共有のような甘美さが感じられてスゲェと思う。

思想感が強い歌集の中では「思想をさらす」のフレーズで切れ味を作る構成のこんな短歌は成り立たないと思うんだよな。かっこいい。

君はあくまで塔として空港が草原になるまでを見ている(14頁)

作品から感じられる作者のちょっと無頼派な空気感と、中東で過ごしている日々や空間のエッセンスが共鳴しあっていて、なんとも言えないノスタルジーが漂ってくるのだ。

けれどそのノスタルジーを少しずつ塗りつぶしていく色。異国のニュースキャスターの冷たい顔が、兵器が、名前のしらない誰かの死が、戦争が来る。

明らかに不穏な空気が忍び寄ってくることにじわりじわりと精神を乱されていく感覚に陥るのは、淡々とした描写を続けていくこの歌集ならではなのかもしれない。中東在住ならではのリアリティがバッチリ生きている。

 

 

断片的ではあるが作者が日本を発つまでのエピソードや、そのときに親しい女性、おそらく恋人と、離れることを選んだことを伺われる章もある。

さきほど「あまり感情を見せない語り口がクール」みたいな話をしたばかりだがここではむしろ「君」への思いがメチャメチャストレートに歌に表れている。

Marlboroの薫りごと君を抱いている、草原、というには狭い部屋(70頁) 食卓へ君の涙のおちるたび草原は蘇えりまた枯れる(62頁)

君と「草原」をつなげるような歌が散見されるのもなにか意図があるんだろう。なにもない自然の豊かさみたいな憧れが根源にあるような。ほかにも果樹園であったり、ブドウであったり、なにか緑やみずみずしいイメージを「君」に寄せようとしながらも挫折してしまう、苦悩が垣間見えてくるような一連の流れがあるのだ。

紫陽花の こころにけもの道がありそこでいまだに君をみかける(60頁)

めちゃめちゃ好きな歌ですね、これ。 紫陽花の、・・・日本での君との日々を思い出すトリガーとなるのが、紫陽花なんだよな。雨。砂漠の街からずいぶん遠い日々の記憶。ずっと忘れられないという感じではなく、ふとしたときに君を思い出してしまうんだなぁ、くらいの温度感。女々しくてリアルでとても愛おしくなる。

段ボールを積む、すこしずつずれる、去年の夏の約束を破る(89頁)

これはどちらかというと感情が見えない淡々とした口調なのだけれど、こわばった表情や心が冷たくなっている様子が自然と浮かび上がってくるような切なさ爆発ショートソングじゃねーの。

そして極め付きの「君」はこれ。

みることは魅せられること 君の脚は汗をまとったしずかな光(55頁)

この力強い言い回しがいいですね。 「みることは魅せられること!」「しずかな光!」とめちゃめちゃ言い切ってくる。無条件でいい。信じられるものは汗をかいてる君の脚なんです。 取り上げている作品はどれも好きなのだけれど、作者の信仰心が塊になってこちらにぶつかってくるような気迫があってこの歌は特にいい。

戦争で荒れ果てた風景や、だれかの死といった痛ましい部分にもしっかりと目を向けつつも「君」と過ごした日々を美しい思い出としてプレイバックしているような二重構造。

なかでも連作「ザ・ナイト・ビフォア」は、歌集通じてひとつのカタルシスを迎えているような作品。君への優しい思い、甘い記憶、青春期のまばゆさ、忍び寄る不安の「前夜感」。ゾワゾワしてたまらない。歌集のなかでも一際、語り手の感情が痛いほど織り込まれていると思う。メッセージ性もストーリー性も強くて、歌集の代表的な連作。

線香のような松の葉ふみしめて君と海まで最後を歩く(196頁)

中東へのイメージを強めるワードも、日本への郷愁を誘うワードも、どちらも抜群のセンスなんだよな。シーンの切り取り方が巧みで、とあるアイテムひとつで一気に世界観を構築出来てしまう。「線香のような松の葉」というのがあまりにも日本の、もう終わってしまった季節にぴったりの表現。

そんな感傷まみれの歌がときおり混じり、そして歌集の最後の章ではそれ一色に染まっていくのが1冊の構造として素敵。異国情緒も命を脅かすような非日常も、それを上回る感傷で蓋をされているようだ。

もう握り返してくれない掌を握り、握ったまま死ねればよかった(236頁) あっビデオになってた、って君の声の短い動画だ、海の(252頁)

物語終盤にそのキャラクターの信条や人生観が明かされたときの「ああ、もうこれを描いてしまったら終わってしまう」のような感覚が、この本のラストにむけての流れにもあった。痛々しいほどの後悔がいまなお主人公を捕らえて離さない。死体のような「君」がずっと心の中に横たわっていて、思い出すたびに痛みを伴うのがヒシヒシと伝わってくる。

 

中東情勢を交えた社会派なスタンスと、主人公のルーツとなっているひどく甘酸っぱい日々の記憶の融合。その不思議な味わいが、この本を特別なものに仕上げてくれていると思う。 不穏とノスタルジー。読み応えのある歌集でした。

 

 

石段は湖底へと延びこれからするであろう悪いほうの祈り(50頁)