「正直どうでもいい?」

漫画 音楽 娯楽

インターネット、僕らの呼吸が夜になり音楽になる。『バジーノイズ』2巻

とりあえず、しゃらくさいシティポップを聴いて口の中をセンチメンタルにしていくか。

SHE IS SUMMER / 出会ってから付き合うまでのあの感じ

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=volkGN9_Jts&w=560&h=315]

ふぅ~~

 

 

 

 

 

 

出会ってから付き合うまでのあの感じ」だァ~~~~~!?!?!?

 

 

 

・・・

よし!

 

 

 

バジーノイズ

バジーノイズ

  • 作者:むつき 潤
  • 出版社:小学館
  • 発売日: 2019年01月11日

ジーノイズ2巻が発売されていますよ、しばらく前に。 先日発表となりましたが、なんとバジーノイズをベースにライブイベントが開催されるみたいですね。その名も「バジーノイズライブ」まんまやんけ。でもせっかくリアル感ある漫画なので、こういった体験型の音楽イベントが出来るのは素晴らしいですね。ファンはぜったい行きたくなるやつ。参加アーティストが素で気になる。

https://twitter.com/mutsukijun/status/1092016741448790016

作品のクレジットを読むとわかるように、地下室タイムズさんが協力していることもかなり影響しているような気はしますね。あそこはもはや完全にひとつのメディアと化していて、サイト単体の企画でフェス型イベントを開催できてしまう影響力があるし。主催の石左さんがいつだったか、一度会ってみたいバンドマンにGrapevineを挙げたら偉い人に「いつでも会える人じゃん」的なこと言われキレてたのがかなり好きなエピソードだ。

そんなことはさておきバジーノイズ2巻である。スピリッツにて連載中。

一巻の感想は前にアップしました。 夜に静かに飛び散った、ぼくらのSNSミュージック『バジーノイズ』1巻 1巻は主人公の清澄と、彼の日常を破壊していくサブカルガール潮のふたりでほとんど展開していった。ゆっくりとした進行だ。それだけ、清澄というキャラクターが外部へのドアを開けるのに時間がかかったという証でもある。

ただ2巻からはサブキャラも出揃いはじめ、徐々にではあるが世界がひらけていく。いや、膨らんでいく感覚。1巻のストリートライブの興奮は、読者も作品そのものも突き動かしていく。

相変わらず清澄はなにを考えているのかいないのか、ふわふわと漂うような生き方をする男だ。しかし世間が、世界が、彼がひとりでいることを許さない。いつしか彼の周囲には、本気で音楽をしたい奴が、人生行き詰まっている奴が、仕事と情熱のはざまで揺れている奴が集まってきている。

1巻で清澄は自分だけが楽しめればいいと、それで満たされる生活があればいいと言う人間だった。自己満上等。それでいい。はずだったのに。

バジー22

突き動かされたのは外野だけじゃない。当の本人だってあてられたのだ、あの興奮に。 音楽はそういう作用がきっとある。大好きな音楽に触れて、形作り、流し込み、高く飛べるようになる瞬間。そういのを与えてくれるはずなのだ。

というわけで、1巻よりグッと積極性を見せてくれる清澄くん in VOl.2 なんてこと無い変化だけど、代えがたい輝きがある。 臆病な少年がゆっくりとこちらを振り向いてくれたような、そんな嬉しさだ。

清澄のスタンスはこの作品の雰囲気をそのまま写し込んでいる。 音楽に全幅の信頼なんて置いていない、そんなもの置いちゃいけないことを知っている。本気になってもうまくいかない現実におびえている。傷つかないように「これでいいんだ」と自分だけの世界に浸っている。フォロワー数とかRT数に一喜一憂して、そんなことで本物なんて知ることはできないと薄々わかっていながら気楽で居心地いい価値観に埋没して。自室のモニターから世界を見て、わかった振りしたりして。

そういう空気感。あきらめも希望もぼんやりとした蜃気楼の向こうがわ。リアルなとこなんだと思うんですよ。リアルがなによりリアリティが薄い。感情も、評価も、存在さえ。

「どうせ」と「そもそも」と「もういいや」と・・・ そういう世界観を、清澄自らが突破していくことの気持ちよさ。 2巻、明らかにエンジンがかかり出している主人公にとても気分がいい。

清澄も好きだけど個人的には調子ノリまくりのサブカルガール、潮ちゃんがお気に入り。いつか絶対炎上して「どうしよ~~~~」って涙目になってて欲しい。アカ消しまえに醜態をさらす女であってほしい。間違えた。清澄をむりやりに引き上げていってほしい。だれかに求められること、寄り添い音楽を奏でることの心地よさを、彼に教えたのはきっと彼女なのだから。

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それにしてもすげーナチュラルにいっしょに風呂はいってて草ですよ。

まじかー。1巻でも匂わせ描写はあったけど。え、個人的にはふたりは付き合わないで欲しい・・・・・・いや付き合ってるかな・・・たぶんヤッてるか・・・なにげにショックだ・・・やっぱりバンドマンなんてクソなのか・・・

そんな潮。いつも暴走気味、炎上気味な彼女がふと、物思いにふけるシーンがある。

「出会わんかったらよかったと、思われてないやろか」

と。ああ、そういうことに怯える女の子でもあったのかと、再発見した気持ち。第一話でイタい目みていたので、ちょっと人間関係に臆病になってしまうところもあるはずだろう。それが普通なのに、意外とそういう一面を見せてこなかった潮。かわいい。かわE超してかわFやんけ。

彼女のそんな悩みに、さっそくアンサーがだされている。

1巻末のストリートライブでもそうだけど、清澄はここぞというときにモノローグを通じて感情を顕にする。2巻でもそう。前座としてステージにあがって、音楽を奏でるとき、ようやく彼は語りだす。音楽に合わせ、饒舌に、言葉が引きずり出されていく。

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ありがとう、だなんて。

ひとりきりの世界の壁を、文字通りブチ壊してやってきた潮を思い浮かべて、 こんな優しく微笑んで歌える。音楽のせいに他ならない。

誰かの前で歌えることは嬉しくて、出会いは嬉しくて、音楽に苦しむこともきっと嬉しい。それはひとりでは出来ないことだから。

おれがツイッターでポチポチとふぁぼリツするその向こう側で、だれかのドラマが動いている。そこに涙もあれば幸福もあり、突き進んでいく熱がある。そして自分もそのうねりの片隅に居場所を与えてもらっているような、そういう温かみとか感動がある作品なんですよ。すごく自分と距離が近い気がするんです、なんとなく。ステージでめちゃくちゃにかっこいいライブをするバンドマンを描いた漫画でも、こんな感覚にはきっとならない。インターネットによってつながる感覚というは、現場で音を浴びるのはまた別次元の快感なのだ。

それと同時に、つながりを一概に是としないような、孤独になにかを突き詰めることを否定しない空気感も魅力的だ。シニカルなシティポップの手触りのまま。

もちろん、せっかく音楽なのだから、その音を生で浴びれたのならそれこそ幸せだし、快感だ。いこう、バジーノイズライブ!この世界に生で触れることができるぞ!

・・・俺は金がないのでいけませんが。転職活動ついでに行けるか?無理か。

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いつまでもこんなしゃらくさい見開きが好きなので多分きっと一生そう。

インターネットで簡単に世界と繋がれるこの時代に、スマホも見ずに手ぶらでゆったりと、夜の岸を歩くのだ。 世界と自分と、海と陸と、夜と朝と、音楽と"ぼく"の、それぞれのはざまに。

浸って読むにぴったりの漫画です。

 

 

[youtube https://www.youtube.com/watch?v=DUdJDSBQzBw&w=560&h=315]