「正直どうでもいい?」

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げんしけんを読んで大学生になった男の雑記 二代目げんしけんに感じるトゲ

最近のげんしけんの話題を見てたらそわそわしてきたのでまた初代読み返しました。 うーむ、やはり面白い。テンション上がってどうしようもなくなるタイプの漫画とは違うんだけど、心のひだをさわさわと優しく時に鋭く刺激してくる。テンション上がるシーンもたくさんあるけど。 個人的には初期メンバーがそれぞれの人間関係が成熟していく2巻から、斑目たちの卒業が描かれた6巻くらいまでが最高に好き。 初代全9巻はもちろん二代目も大好きだけど、この位の時期の空気がたまらない。オタクなのにオタクとしてキラキラしちゃってる。自分の大学生活の理想形だ、間違いなく。7巻以降はちょいとまぶしすぎるがそれだってもう何度身悶えしたことか。 4巻なんてイベント尽くしで素晴らしいです。初期のイタタな荻上も出るしな。 適当に書き出してしまいましたが今日は前回の続き。 長々と自分語りするだけの誰得感ほとばしる更新でしたね。 それで今日は後半、主に二代目げんしけんについて感じることとかを書こうかなと。

げんしけん 二代目の参(12) (アフタヌーンKC)げんしけん 二代目の参(12) (アフタヌーンKC)
(2012/06/22)
木尾 士目

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二代目げんしけん、とても楽しめています。 けれど初代とは違ってる部分は間違いなくあって、感じることもいろいろあって。 大学生になった今、げんしけんでチクリと感じる要素を、いくつかあげました。 げんしけんがニ代目になってどうなったというより、大学生になった今、この作品との向き合い方がどう変わったか、といった話が多くなってしまっています。 順番にまとめてみたいと思います。・・・まとめてみたら嫉妬まみれでした。うわぁ。 書きたいこと書いてるだけなので読みづらいです、ごめんなさい。

1、歩みだしている初代メンバー

初代げんしけんの終盤、メンバーそれぞれがげんしけんの外の世界へと歩きだしました。 げんしけんは大学サークル。当然、卒業していくメンバーは、多くが就職をしています。 笹原は編集者になるし、荻上は漫画家デビュー(荻上卒業してないけど)。 ほかのメンバーも、それぞれ社会人として生活をしているようです。 こんな様子を見ていて、俺の精神状態はじっとりと嫌な感じになっていきます。 俺こんないい未来歩める自信ないですわ! 所詮フィクションだからと言っても、げんしけんは不思議となぜかわりきれないんです!もうすっかり現実のものみたいに思えてしまって!だってげんしけんは夢だったんで!自分もげんしけんに入りたい!それでそれっぽい所に入った!でもどこまでもげんしけんをなぞっていくことなんて絶対出来ない!ウワアアアアアア的な。 大学3年になった今となってはリアルに将来が怖いよ!!どうなんの!! そして初代メンバーの多くが「歩きだしている」ということ、言いかえればげんしけんにとって「過去の人間」になってしまっていることが、2代目になって地味に強く感じることです。 笹原、高坂、田中さん、クガピーたちはほとんど出てこなくなってます。 あの日々が過去になってしまっていることが、とても強く伝わる。これがつらい。 これはいまの自分の将来への不安を、作品に重ねているんだろうか。 今の自分には、就職するというのが意味わからない恐い世界に思えて、でもきっと進まなきゃならない現実でもあって、げんしけんメンバーは既にそこを通過してるという事実(フィクションであろうとも、それは事実なので)があって。 なるほど、俺の意識は初代げんしけんの世界に置かれたままなんだろう。理想の世界が、初代げんしけんのまま止まってる(それも1~6巻くらいの。6巻までってのは言うまでもなく斑目たちが卒業してしまうから)。ストーリーの進行に感情がおいつけてない。置いてぼりにされてしまってる感覚なんだと思います。 学生のままぬるくぬるく生きてたいなぁなんてムシのいい事考えてしまう。そんな夢を見せておきながら、それをちゃんと否定するのが「げんしけん」なのかも知れないです。 ちゃんと時間を進めます。あの日々を過去にしていきます。新入生が入ってきます。げんしけんの雰囲気も変わっていきます。それは当然だし自然だし・・・でも、つらい。 楽しい日々を、思い出にしてしまうことが健全なはずなのです。分かってるけどさー。 げんしけんを中高に読んだせいです、こんな心。(サカナクションっぽく) 自分の中にげんしけんが染み込みすぎてるんですね。ちくしょう。 しかしそこで斑目さんですよ!彼がいまだにげんしけんにちょくちょく遊びに来てる様子は、一種の心のオアシスです。なんだか安心してしまえるのです。 同時に、前に気持ちが進めていない自分そのままの姿のようで、痛い。 卒業できていない様子を見て今の自分は安心するんだけど、でも複雑。 げんしけん 斑目がかつてを思い出す部室のシーン。いろんな思いが溢れてくる。卒業できてないんだな彼は。他の人たちは普段から遊びに来れる状況ではないんだけど、もし卒業した他の人も近くに職場があったり住んだりしていれば違うんだろうか。でも現実に斑目1人で部室に来ていることに変わりない。 斑目さんはげんしけんという作品の中心にあるキャラクターだと思います。オタクのうまくいかない感じを体現しているというか。いや単純に俺が斑目さん好きなだけか。

2、オイオイ斑目さんモテてんぞ!!

と思ったら斑目テメェ!!モテモテじゃねーかよ!!! 二代目は斑目さんのモテキが始まっています。女神輿に担がれてしまうレベルですよこれは。 11巻の夏フェス編ではアンジェラの猛接近がありましたし(→情熱の行き場と置き場。『げんしけん』11巻(二代目の弐))、二代目のレギュラーキャラである波戸くんは男性ながら斑目さんにかなりディープな感情を抱いているように見えます。 波戸くんはネタっぽいように描かれる部分もありますが、斑目さんへの想いはだいぶガチっぽい部分もかいま見えるように感じます。特に今月の第77話を読むとな・・・! でその第77話ではスーが!スーがあああ! げんしけん2 ラララメさんとスーはいいペアだと思うんですよね(ニッコリ) (けどやっぱりサキマダが好きだ、うん。) このキスは「ぅぇええええ!?」とさせられてしまうシーンですが、しかし普段のスーや前後の流れを見ても、100%の恋愛感情の発露と言うのは難しいんですよね。斑目さんを動揺させるためにやっただけなのか、それとも、という。 まぁスーは昔から読めないキャラクターでした。二代目になり表情も言葉も増えましたが、やはりミステリアスな女の子かな。来月のアフタも見逃せない。 さてということでモテモテな班目さんですよ。なんだこれ。 初代のころのまるで冴えない斑目さんはどこへ!非オタ下級生に恋してにっちもさっちもいかなくなってた頃が懐かしいな! 春日部さんへの想いは今もほぼ変わっていないようですが、状況は随変わったなぁw モテまくる斑目さん・・・見てて面白いニヤニヤできるんだけど、ここも「変わったなぁ」と思わざるを得ないポイントかもしれないです。 斑目さんは幸せになってほしいんだけど、それよりも恋に苦しんでいて欲しいというやや歪んだ希望があるんですが、なんでだろうかね。こんなに片思いが似合う人そうそういないよね。第32話たまらないし、第51、53話の空気にしびれた自分としてはそういうのをかわいそうだけど斑目さんに押し付けてしまうな。 幸せを噛み締める斑目さんに似た人が登場する「spotted flower」もちょっと複雑だったりする!面白いし超ニヤニヤしてますけどね!

3、斑目の情熱

あれ、さっきから斑目さんのことばっか書いてるし! ということで斑目さんの情熱についても、二代目を読んでいて痛い箇所。 具体的には11巻の夏フェス時に彼がこぼした言葉が個人的にショッキングだったので。 学生時代とは暮らしも全然違ってきているだろう。現実に忙殺されていく。 いつしか「好き」な気持ちがぼやけて薄れて。 知り合いの人が「あの感覚はちょっと分かる」とも言ってる人もいて、ちょっと怖い。自分はまだ体験できていないことな上、現実にありえるかもしれないのが恐ろしい。 好きなものが好きじゃなくなるのはイヤだな。もうずっと頭ピンク色にしてたいな。・・・ムリか。本作は何かを否定していく一面もある、甘いことばかりじゃないこと見せつける。けどこういうアイデンティティの喪失に近いことまで描かれるのは、やはりズキンと来るものだ。 こういう記事だから書きましたが、これに関しては11巻の感想の時に感じたことはだいたい書いたのでもう満足してます。 というかこの話を最初読んだ時は心配で不安でしかたなくなったけど、この人はオタ趣味からは離れられないんじゃないかなーということを最近なんとなく思ったので、ちょっと落ち着いた。 でも初代みたいに、あの熱い語り口で作品を愛する斑目さんがまた見たいのだ。

4、移り変わる「今のコ」と自分とのギャップ

吉武ちゃんかわいいんですよー! オタクなんですがとてもオープンな性格で、いまのげんしけんの盛り上げ役となっていることは間違い無いです。これまでのげんしけんにいなかったタイプの子だと思います。 この明るさとか活発さとか、全てを楽しんでしまおうとする姿勢がすごくいい。 会議の中でお菓子を持ちだしたりして、場をイベントっぽく変えたりする。 そういうのを踏まえると、吉武が今風のオタクなのかなぁ、ということは感じる。 オタクというのはその個人が持つ趣味によって外部から与えられる認識みたいなものだと思うし、「オタクと言えばこんな人!」と単一イメージで語れるほど狭い世界じゃない。 オタクとは言っても結局は個人の資質がその人間の印象を変える。 で、吉武はガッツリと趣味がアレなだけで、匂いはとてもリア充くさいんだよな。 リア充くさいというのはなんとなくの印象で、別に吉武は恋人がいるでもない。でも彼女はオタクとして、すごく輝いている。 印象的だったのが12巻の恋話の時で、恋愛経験なんてねーんス!と鼻息荒げてアピールする彼女は恋人欲しいとも考えてないんだろうなと。そういう明確な開き直りも眩しいもので。 彼女がヘビーな一面を持っているようには思えない。重い過去を持っていたとしても、それが現在の彼女の重荷になっているようには見えない。 明朗で、健全で(趣味はおいといて)、生命力に溢れてる。彼女がいまのげんしけんをすごく明るいものにしている気がしますね。 留年して同期より年上であることを気にしているらしいけど、そんなの可愛らしいものだ。 そう、彼女はとにかくポジティブ。オタクであることに後ろめたさは何もなく、きっともちろん逃げ道としてオタクになったのでもない、好きなものを好きになって愛を深めてきた。そして楽しみを周囲と共有することでもっと楽しくなれるという思いがあることが分かる。 そこらへんは葵さんが記事で書いてた。貼ってみよう。 →続く「げんしけん」!新世代と色とりどりの想い!(酔いどれ眼鏡の漫画居酒屋) 楽しい今を全力で肯定する。楽しいことはいいことだ。 でもきっと俺はもっと根が暗いから、吉武とはギャップがあるような気がする。 そしてそれは、吉武が雰囲気づくりをしているニ代目げんしけんそのものとのギャップでもあるかもしれない。 自分はつまらないことでねちねち悩んだりしてしまうしな。イヤだったことずっと覚えてるしな。今度吉武のそういう一面がもし描かれたら、彼女の印象はかなり変わりそうだけど、でももっと好きになれそうな気がする。 好きになれそうな気がするが、そんな期待はしない。 今のままでも十分に吉武のことは好きし、「自分とは違うタイプの人間なんだ」という線引ができないと、いつまで経っても俺はげんしけんの中に自分の分身を求めてしまう。吉武という自分とは違うタイプの人間にも自分と似たところを探してしまう。そんな分身はいない方がいい。でも分身を見つけてしまったから、だから俺は初代げんしけんに引きずられてるのだ。しかも複数のキャラの中に。 俺はもうげんしけんの中に自分を探さないようにする。いい距離のとり方をしたい。 と思っても、やっぱりげんしけん空間は心地よくて、混ぜて欲しくなる。 マイナス感情の同感を求めるのも楽しいけど、もっと健康的な楽しみ方をしよう。うん。楽しいことは共有したのは全くの同感だから。二代目げんしけんは初代よりちょっとだけ、元気がいい。


まとまらないけど、まとめみたいなもの。

かつてげんしけんを楽しんでいたとき、そこは「目指したい」憧れの世界でした。 自分は当時まだ中学生でした。 周りの人よりちょっと漫画とかアニメから離れられていない奴でした。 げんしけんへの憧れは、はやく大人になりたい欲とオタク趣味を深めていきたい欲が混ざり合って、いびつな光を放って当時の俺の心に在り続けました。 今は20になりました。大学生になって、オタクばかりいるサークルに入りました。 で、実際とても楽しいので、やっぱりげんしけんに感謝している。 でも実際に大学生になってみればですよ、漫画どおりの日々なんてのはないわけで。 もちろん今はとても楽しいんだけど、げんしけん世界と違っていくのは当然で「あああ悔しい!羨ましい!憧れる!」ってのが最近グツグツと体の中で熱く存在感を放ってきている。 げんしけんはかつて未来だったけども、今や平行世界、もしくは過去になりつつある。 こないだ入学したと思ったのになあ。大学生活あっという間に終わりそう。 俺もそろそろ大人になりたいな。 大人になるというのは自分にとっては、げんしけんの読み方を変えること、かも知れない。 感情移入しまくりだったなぁ。俺は笹原になりたいというより、笹原や高坂の同期の1人として、斑目たちを先輩に、あの空間で一緒に笑ってみたかったんだ。 げんしけん世界は憧れのままだけど、げんしけんを目指すのはもう違うなと思う。 二代目げんしけんにトゲを感じるというのは、初代を引きずった自分に原因がある。 作品の雰囲気も変わったんだけど、本質的なものはあんまり変わってない気がする。 トゲを感じるのは自分が大学生になったからか。げんしけんの登場人物と同じところに立ててしまったからか。環境と心境の変化はだれだってあるものだけど、それが作品の感じ方すら変えてしまうってのは・・・我ながら、げんしけんがどんだけ大きい存在になっているのやら。もう自分に染み付いて取れない。 初代の時もそうでしたが、「げんしけんは」オタクたちの青春を単純に「楽しいもの」とは描かない姿勢がこの作品の面白いところです。むしろ上手くいかない会話や、ちょっと不器用な人間関係や・・・、そういうもどかしさにリアルを感じてしまいます。おかげですっかり感情移入して楽しんでいました。 人物の心の傷、ちょっとしたトラウマ、うまくいかない現実・・・それらもまたこの作品を彩るものです。そしてそういうところがあるからこそこの作品が好きになった。 大学生を通り過ぎて「げんしけん」読んだ人にも、「げんしけん」を目指して大学に入ってきた人も、それぞれに違う形の思いをを抱くことが多いのかも知れない。 世代差や各々のオタク観によって、げんしけんの読み方も違っている気がします。 オタク同士でげんしけんを語ってみると、すごく面白いなというのは自分が感じていることです。 サークル、楽しいです。バカな話ばかりしてます。好きな漫画の話もできます。 げんしけん、大好きな漫画です。昔とは味わいが違って来ましたけど大好きです。憧れも愛も嫉妬もいろいろ入り乱れたものになりましたが、どっちにしたって大好きです。 以上、げんしけんを読んで育った大学生の戯言でした。なげーよ!終わり!! そういえばサークルでげんしけん好きって人いたな。集まるものなのかな。